社会運動のある種の隘路
ここではあえて、社会運動の主体としての左翼の退潮にスポットを当てるのではなく。よくある、左翼とは関係のないことが多い組織が抱える問題点(人的資源不足・資金不足・対応問題の複合化)等に比較的問題を絞ってid:antonian氏の社会運動組織への疑問視に多少なりとも答えられればと思い書いたところである。
日本においてアソシエイションの裾野は言われているほど全くないかというと必ずしもそうではない。阪神淡路大震災以降、ボランティア登録者は増加しているし。中越地震にせよ、福岡西方沖地震にせよボランティアは決して不足することなく、募金の集まりも悪くなかったと聞く。
しかし、継続的なものとなると少々事情が違うようである。これは、他の先進諸国との労働条件の違いから来ているのかも知れないが、毎年ある時期の一定期間何らかの活動に従事したり、夕方以降をある活動に継続的に従事したりする事はやはり増加しているとは言い難い。そして、相変わらずそういう形の社会的活動に従事できるのは、引退した中高年かその活動に専従していると思われる人々が中心である。
では、その現状はどこから来るのか。またantonian氏が批判、あるいは疑問視しておられた、一見関係のないような活動の連結、複数活動の掛け持ちがどうして起こるのかに関して、幾つかの見方を提示してみたい。
一つは、上記で上げた問題から起こる、人材不足である。複数の問題に少数で対応するのは、本来非常に効率が悪い仕事である。これは、その現場にいる人々であれば間違いなく皆自覚していると思われる問題である。しかし、そうせざるを得ない。どうしてか…。
ある特定の社会領域の問題関心を持って、ボランティアや社会活動に従事し始めて認識される事は「これも誰もやっていない」「あれも誰もやっていない」と言う事である。
なるほど、一部の特定の集団の人々で勧誘*1の為に、あらゆる分野に顔を出しているグループもあるが、そういうグループは活動が実際レベルにまで達し、自分たちの目的に合わなくなるといち早く抜けていくし、活動それ自体に熱心でないので「目立たないで消えた人」に多いといわれている気がする。
そういう訳で、真剣に問題関心を持って踏み込んだ人は皆、仲間不足、情報不足に悩まされる事が多く、それらを解消するために結果的に、あるいは合目的的に他分野の社会運動を行うメンバーと触れ合う事が多くなりそれらの問題もメンバー不足に悩まされている事が多いため兼任する羽目になることがままあるのである。
二つ目は、一つ目と通じるところがあるが、ある一事の社会的問題関心事から運動に参入しても「構造的問題」があることを日本という社会が、もしかすると他の社会よりもより一層自覚させられると言う事である。どういうことかというと、例えば最近の例で言えば「辺野古」の基地問題を考えていただければ分かりやすいと思う。「辺野古」の基地問題には、複合的な要因が複雑に絡み合っている。
まず、その土地が沖縄にあるという事から考えて、一番人を動員する問題が「基地」の問題である。沖縄県民(もしかすると、「県民」と一般化することには問題があるかもしれないが。)は基地負担の軽減を求めているのであって、嘉手納からの移転を求めている訳ではない。であるから沖縄と「基地」と言うそもそもの問題をはずしては議論は出来ない。
次は、環境の問題である。「辺野古」の地にはジュゴンが生息している、それだけではなくその他の生態系を含めての保護が叫ばれている。これには、沖縄だけではなく、日本のかなり多くの環境保護グループが活動している。
三つ目は、平和グループである。これは、一つ目の「沖縄基地問題」グループとも非常に近い場合の多いグループであるが、主に日米安保条約に反対の立場から基地反対などに参加していて、一つ目のグループには必ずしも安保反対の意見のグループだけではなく、全国からこれもまた環境グループと同じく全国から参加していると思われるので分ける事とする。
以上の三つなどが参加しているように見受けられる。こういう活動をどの立場からでも、始めたとして、当然他の参加グループと意見や視点が違うことには気付かされている人は多いと思う。しかし、同時にそれは自分と同じ問題を考えるにあたって、様々なアプローチや問題があることに気付かされるということでもある。そして、単純に沖縄の基地削減だけを問題にしている人も、現在の日米安保の枠組みをどうにかしない事には、基地問題が解決しない(本土が引き受けるという事態の変化が見込めない以上)と言う事に気付かされるし。環境問題から、アプローチした人々も同様の結論に至ることが多い。そうすると結果として、様々な活動に参加するようになる場合が多くなるのである。
特定少数のアソシエイションが、マルチタスクを抱える問題は多分本人たちはかなり自覚的である場合が多いように思う。それは、しばしばその結果として人的疲労、資金的限界を感じる事があるからである。また同時に、最初行っていたはずの活動に専念、あるいは最初行えていたほどの成果が見られなくなっていくからである。これらを解決するにはどうすればよいか…。結局のところ、その場で活動するメンバーで取れる対策といえば、以前の活動効率はそのまま、あるいは少し高めて、他の活動やグループ支援にも少し手を回す。過重労働分は、無理のない範囲でメンバーの労働量増加や個人負担(持ち出し)の増加でカバーするというところにやはり落ち着いてしまわざるを得ず。
結局のところ対策としては、あいも代わらず、アソシエイションの育成、働きながらでも活動の行えるような労働環境の整備*2などを訴えるしか仕様がない環境なのではないかという気がするわけである。とともに、それ以上の提案が出来ない、自らの勉強不足を恥じ入らざるを得ないわけである。
ではないですが、九条の会
ちなみに、「九条の会」などについては最初の問題意識と多少ずれがあるので記述を避けたが。宗教者がなぜ、「九条の会」に入るのか、そしてその活動が何故、オルグ形式というよりも「細胞」形式をとるのかという部分に関しては。
現在の日本の現実の政治状況は、実は国際的見て非常に「右傾化」しているということです。ヨーロッパで言えば、ハイダーなどにあたる政治家が首都の知事になり、それが80パーセント近い支持を受けていると言う事実や、到底自民党の主流になるとは思われていなかった「旧福田派」が政権中枢を担っているという現状は、日本政治に対して一定の知識を持つ層(もしかすると外国人で、知日派であればあるほど。)であればその事実が持つ問題は大きいということを自覚させられるところであるだろうと思います。
その上で、戦前宗教者が「大日本帝国」に対してどう協力していったかは別段説明の必要はないでしょう。そこで、出てくるのが、今回の「人権擁護法案」でも、なぜか引き合いに出された。マルチン・ニーメラーの、「ナチスが共産主義者を弾圧した時 私は不安に駆られたが自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した 私はさらに不安を感じたが自分は社会主義者ではないので何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていきそのたびに私の不安は増大したがそれでも私は行動に出なかった、ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた、そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったがその時はすべてがあまりにも遅かった」という言葉です。
九条の会が、大江健三郎氏や小田実氏を含めて共産党中心の活動である事は間違いありません。まあ、この問題で一番肝なのは、この「共産党中心」なのですが。この言葉は、共産党だけがやっているのではないし共産党がやっているのではないという事が言外に含まれています。それゆえに、九条の保持という目的の元に主張が近い、社民党支持層や共産党と本来対立してしまう宗教界と協力できる体制を作り、まず何よりも改正の国民投票における多数派形成が目的であると考えられます。(そこまで出来るのならば、党名の変更をしろよと思いますが…。やはり、社民党の凄まじいまでの党勢退潮は共産党首脳部にも影響を与えているのかもしれません。)そういう意味では護憲派の焦りとも言えますが…。ちなみに、私は九条護憲派ですが九条の会には入っていません。