es[エス]http://www.gaga.ne.jp/es/(原題:DAS EXPERIMANT)

 最近のテレビ東京は非常に頑張っているように感じます。先週のこの時間枠での映画は「ボーリングフォーコロンバイン」でしたし。今週も「問題作」といえるこの「es[エス]」です。
 上記のホームページのProdaction Noteにも書いてあるとおりこれに似た実験として1963年にハーバート大学のミルグラム教授が行った「アイヒマン実験*1というものがあります。誤った答えを出した生徒に電流を流していくよう指示*2したときにショック死するレベルの電流を流した被験者が非常に多かったという結果が出た実験がありまし、この実験も実際にアメリカで行われたもののようです。

 実際にその実験を行ったZimbardo氏のサイト(http://www.prisonexp.org/index.html)
 まあ、アイヒマン実験が「権威への服従」を解明しようとしていたことに比して、この映画の中では極限状況に置ける人間の心理の不安定さに焦点を当てているところにこの映画の面白さはあるのでしょう。そうでなければ実質上の主人公タレク(囚人番号77番)が記者であるというような描写や同房のシュタインホフ(同38番)が空軍の軍人であるなどの描写に意味がなくなってしまう。だから、この映画を見てZimbardo氏の実験がこのような形で終わったなどと考える人間はそうはいないでしょう。

 「日本社会心理学会」のホームページにおいて「●意見・異見(その十八)社会心理学者はマッド・サイエンティストか?!-映画「es」が創り上げた虚構の「社会心理学」-(大阪大学 三浦麻子)」(http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssp/doc/kaiho/kaiho157.html#10)という記事が掲載されていますが「おそらくこれを読む人は「映画は歴史的事実に基づくもの」と解釈するに違いない。」という解釈は通常上記の理由から排されるでしょうし。そして「映画の内容はどうだったかというと、残念ながら「完全」とは言い難い。」とのコメントもその文章以下の理由が「セックスとバイオレンスに塗り固められたひどいありさまだった。」とか「教授は状況の悪化を認識しつつも実験者らにすべてを任せきりにし、その場を離れていたのだ。」という理由をもって「完全」でないというのならば、この映画がドキュメンタリーで無いことが明白である以上無意味な批判であるように思うし、もしこれを真実にあった実験だと思うようならばメディアリテラシー能力の習得を諫言したいとすら思ってしまう。それらの映画理解が得られた上で「そこに含まれる虚構と真実についてデブリーフィング」されるのならば、専門家としての意見を聞いてみたいし。多くのこの映画に興味を持った人間に対して、有益なデブリーフィングになるような気がします。
 はじめの方でこの映画において取り上げられた実験は、よく並んで取り上げられる「アイヒマン実験」の意図する「権威への服従」と違うという気がすると書きました。この映画の基になっているZimbardo氏の実験は「アイヒマン実験」に近しい意味を持っていたであろうことはサイトから読みとれると思います。つまり映画で描写しているものは、何度も言うようですが現実に起きた「実験」というものを「ハプニング」として下敷きにしたに過ぎない全く別の問題なのではないかという指摘がしたかったのです。(つまり私の中でこれは映画の内容以前の問題)

 で、その上で映画の内容に触れると通常「看守と囚人」間にある心理的な強制、通常囚人は一般的な裁判を経過して監獄に収容される。その過程で罪の意識は確認させられないにしても「囚人」になるという自覚はいやがおうにも高めさせられる。つまり自らに囚人というラベルが貼られたことを理解し受け入れてしまう。そうすると看守による強制が、看守という個人を超越したところから出ているという認識からその指示に従うことを余儀なくされる。
 しかし、このゲームにはそのような過程は存在しない。看守と囚人はたまたま、あるいは実験企画者の作為によって決められたという意味合いしか持たず。囚人と看守との間に本来的に差は存在しない。そうなると当然、理不尽や横暴な振る舞いに対して不満を抱く「囚人役」が出てくることは容易に想像できる。*3映画の中のように混乱しないかもしれないということは出来る。何故なら「実験」が終わった後のことを普通一般の人間は考えるからだ。例えどんなに外形的に閉鎖状況を模してあってもあのような背景をおく以上、その世界は決して社会と隔絶していない。出た後にその実験中に行われた行動が免責されるわけでは無いことは容易に想像しうると皆思う。が、それをおいても恐慌状態は常にどこにでも起こりうる。「厳しく〜〜〜倫理が求められ、また遵守されていること」を自覚してもまだ足りないと思わせるほどに。

 三浦麻子さんの記事をメタメタに叩いてしまっているような書き方になっていますが。別に叩いているわけではありません。全くもって申し訳ありません。

 そして追記 冤罪を主張しまた実際に冤罪で収監されている囚人はタレクのような所謂「反抗」を行うかもしれません。イラクにおけるアブグレイブ刑務所の囚人達も同様でしょう。日本国内においては少し前にベルトを強く締め付けて死者が出たという事件がありましたが忘れ去られているような気がします。そして一番気になったのが、昨日この映画と同時にあっていた「衝撃スクープ裏のウラ全部ホンモノ決定版!!」だったかな?で脱走した囚人が失敗して大怪我する映像でバックに「笑い声」が当ててあったこと。べつに客席にいた人達が実際に笑い声を上げたわけでは無いのでしょうが薄ら寒いものを感じました。

更に追記
上記で紹介した三浦麻子さん関西学院大学文学部総合心理科学科 三浦研究室がブログを書かれていたようです。

*1:ゲシュタポユダヤ課長アドルフ・アイヒマンの名前から取られた

*2:生徒役は電流を流されたように演技

*3:この映画の中ではその役回りを「記者」タレクに割り振ることで話の展開を早め、よりエスカレートする理由付けを与えている。