(5)五度、堀江貴文氏について
まあ言わば追記なんですが…
こういうことを書くと自分の本心なんて言っていないのに勝手に解釈されて、ネットで書かれるのは気に食わない*1と言われるかもしれませんが…。
私は先日に日記(2005-02-21 - 小烏丸の日記)で、彼の行動はリバタリアン的で、その行動はリバタリアンとしてみれば何の齟齬も無い。その上で、そもそも、あの行動に対して何らかの価値判断は無いのかという質問自体が彼にとっては不本意であろうという旨に繋げる意図で書きました。
そのこと自体を修正するという訳ではないのですが…
昨日トラックバックを頂いたもういいや恥かきついでだ - 昨日の風はどんなのだっけ?において、id:toronei氏が書いておられるように。合理主義というほど合理性は無い。
つまり既存の社会状況から考えて(無視はしないというレベルで)、最大の利益を出す行動選択を自分に与えられた自由の範囲において選択するのがリバタリアンとしての行動と位置づければ彼は必ずしもそれに従って行動はしていない訳です。(リバタリアン側からの人間位置づけではなく、批判する側からのリバタリアン的な人間に対しての批判的位置づけといえるでしょうけど。)
敢えて言えば情緒的というか…テレビでの出演なんかを見ると感情的になっているように見えさえするのですが。
まあ、俺のすることに口出しするな、ほっとけということではリバタリアン的なんでしょうか。
段々、自分で何を言っているのか分からなくなってきた…。すみません、もう少し森村進先生の本とか嶋津格先生の本とか読んで出直してきます。
*1:江川氏との対談参照