上野へ

 本日、町屋でのバイト終了後(10時)京成線に乗って上野へ。本当は「上野の森美術館」で開催されていた「天野喜孝展 マニエラ」http://www.so-net.ne.jp/amano/event/index.html(5月3日から5月10日まで)がやっていると聞いていたので、見に行こうかなと思っていたんですが…。その前に、ふらっと入ってしまった「東京藝術大学美術館」での「厳島神社国宝展」http://www.osaka-event.com/event/itsukushima/index.htmlが、今日までというのを見てしまい、そちらに…。しかも、それと併設展示されていた「芸大コレクション展 資料は繋ぐ ― 名作と下絵・連作」で感動してしまい、ある意味お腹いっぱいになってしまったため、天野氏の展示を見に行けなかったという次第です。(天野氏ごめんなさい。)
 「厳島神社国宝展」のメイン展示物は、「平家納経」だったようですが、私が個人的に楽しめたのは「刀」と「面」。「刀」に関しては、拵えは個人的に江戸期のものなどが好きなので、あの派手派手しい螺鈿や金をちりばめたつくりには興味は無かったのですが。「刀」の刀身の方は、平安・鎌倉期のものには他の時代にない魅力があります。反りの入れ方や、刃紋の散り方、後の時代のものはそれはそれで個性や洗練された感性が出ていて良いのですが。この時代の、刀が「高まっていく」というような高ぶりは、この「武者の世」になっていく当時の時代ゆえに。いや、この時代しか持てないと言っても過言では無いという気もします。
 それと、もう一つは「面」です。「能面」は、厳島で能奉納が毛利の時代からのようなのでかなり下りますが。「舞楽面」特に陵王の出来は凄まじさを感じさせます。今でこそ、日本の舞楽のように形式化され、非常にスローな舞になっていますが。個人的には、中国ではあの面をかぶって京劇のような激しい動きをしていたのではないかと思っているので、日本のスローな舞楽の中にある中国の武術と共通したような動きを見出しては一人で「こうだったのではないか、ああだったのではないか。」と考える事ができ非常に楽しめました。まあ、そういう武術との関連は置いたとしても「仮面」が意味するもの、その後の「狂言面」「能面」への流れというのも考えるだけでも面白いものです。もし機会があれば自分で「面」を打って見たいものだと思っています。(打つ形ではなくとも「仮面」自体は作れますし、昔から暇が出来たら作りたいと考えていますが。)
 その後、併設展示されている「芸大コレクション展」を見たのですが…意外に見ごたえがあってびっくり。展示品数自体はそう多くは無かったのですが…。特に三宅克己氏の「雨模様」と「秋の日」に惹かれていたら、その隣にあった南薫造氏の「小田原の海」に頭をぶん殴られたような衝撃をあたえられました…。こう両者の作品とも非常に印象深かったのですが、三宅克己氏の作品がやさしく呼びかけてきているのに対して、南薫造氏の作品は一番奥底まで聞こえる声で叫ばれたと言うような…。その余韻が、非常に久しぶりにショックであったと同時に、それを断ち切るのが勿体無くて公園をブラブラし。心を鎮めてから、昼をアメ横で食べ、古本屋で本を3冊ばかり見繕って千葉に帰り、興奮冷めやらぬままに日記に書いているという次第でした。