広島原爆投下の日

もし九州北部が晴れていれば、現在私は生きていないでしょう。
長崎投下にしても、一歩間違えばやはり私は生きていなかったでしょう。
合掌

追記
 多分、私は原爆をおとされたことを忘れないでしょう。上記の通り、もしちょっと違う要件のもとであれば今現在ここに存在する自分は無かった訳ですから。そして、それは広島・長崎に当時いて生き残った人、またはそれ以外の人でも同じ事でしょう。
 で、当然私は当時、原爆での攻撃決定を下したアメリカ政府、大統領以下を許せません。また同時に、降伏がほぼ決定していた状態で、ごね、アメリカに原爆を落とす口実を与えた馬鹿な一部の日本人どもも許しません。
 そして、原爆の事は当然忘れてはいけない事です。
 それは、その主体を中国に置き換えてみても、朝鮮に置き換えてみても同様のことと思うのです。それこそが相互理解のための一歩と思うのですがいかがでしょうか?