2大政党制化と党内異論

政治における意見の多様性は、正常な民主主義の指標ですらありうる。しかし、現在の日本の政治はどうか?
「わかりやすさ」*1の為の2大政党制。非常に単純化された政党政治を根拠にした、党内異論の排除。権力争いの根拠でしかなかったはずの「数の論理」が政治的な正当性担保かのように振舞われる現状。*2
例えば、多党制下での多様な政治議論の確保は、比較的容易に行うことが出来る。各政党はある程度の政策ベクトルを意識し、他党との位置の違いや具体的政策実行の違いを打ち立てることで、自らの政策の独自性をアピールする。
一方、二大政党下での、政治的議論の多様性の確保は多党制下ほど容易ではないが全く確保できないわけではない。では、それは何によって担保されるか。それは党内の議論である。ただしその党内議論は常にオープンにされる必要があるし、同時に党内で党内で議論の終結が見られる必要がある。(そうでなければ、今回のように与党からの反対者によって否決という結果を招くことになる。)
上記の私の議論で何が言いたいかというと、2大政党制は多党制下に比例して国会における議論の機会が減るのではないかということである。実質は、議論をどんなに単純化しようとも国会議員も人間であることから多様な意見(差異が少なくなろうとも)を持っている、持った者が居続けることは否定できない。しかし、公式な場での多様な意見の表明が制限・縮小されることに繋がりはしまいか?
そうすると今回のように、所謂党内主流派が党内での議論は滞りなく終了した、正式な手続きは経ていた。ゆえに本会議で反対票を投じたのは、党に叛旗を翻した裏切り者であると事実はどうあれ「決め付けられて」しまうことが可能になる…。*3
つまり、従来(あるいは多党制下)では、国会の場で行われてきた議論が党内という密室で行われても我々にはわからないという状況になりかねないのである。

メモ郵政民営化って要するに何なの?と政治に詳しい人に聞いてみた。[絵文録ことのは]2005/08/30

*1:私には、マスコミが報道する上でのとしか見えないが

*2:そういう発言をしている議員がいらっしゃいました…。

*3:これは必ずしも、今回の郵政民営化がこうであったというものではありません。