死刑廃止論?

  • ヒューマニティの観点から

ここでは正義論としての応報刑論の肯定あるいは否定が論じられる必要がある。この観点からはなぜ目的刑論が近代刑法の中心的な刑罰論になったかを考える必要がある。その点で言えば、この観点は下の「人権の観点」と密接に関係する。

  • 人権の観点から

普遍的な権利としての人権と信託に基づく国家の権力発動としての刑罰のあり方の関係が問題になると思われる。

  • 誤判の観点から

日本においては特に白鳥事件(白鳥判決)後の再審を認めた後のいくつかの無罪判決の存在を見る必要があると考える。

  • 政策論の観点から

応報刑論を採用する場合は相対的応報刑論で、目的刑論を採用する場合は、一般予防論特別予防論がそれぞれ配慮される必要がある。
死刑の効果ということになるが・・・

複雑になるのは哲学的思弁と法・社会制度的思弁が重なるゆえであると考えられる。
哲学的な観点でいえばカントの絶対的応報の考え方や、大陸における応報論の基礎になったと考えられるヘーゲルの応報論を考える必要がある。*1
法的にいえば、近代刑法下で残虐な刑罰禁止の流れの中で身体への暴力などが禁止されていく中でその際たるものである死刑が存置されていることも問題として考える必要があるだろう。残虐な刑罰禁止の流れは根本的な意味では、応報刑否定と繋がると考えられる。

内容的には続くのですが、時間がかかりそうなのでとりあえずこれだけで・・・
もうちょっと練って書く様努力します・・・しかし、時間がない・・・

*1:ただし、ヘーゲルの応報論に関しては加藤尚武氏は「刑法の教科書ではヘーゲル応報刑主義者に祭り上げられているが、彼の刑法理論の中心にあるのは、犯罪者が自己を否定 して、共同体という自己の本来的な存在との同化を回復することである。たしかにヘーゲルは刑罰の本質が応報であることを 明確に語っているが、ヘーゲル的な意味での応報は自己の本来性である共同性の回復という意味をもつのだから実質的には教 育刑の意味をもっていた。」とWILL PUNISHMENT CONTINUE TO EXIST IN 21TH CENTURY?で述べている。