[ニュース]2007参議院選挙(4)
多様な政策課題(政治問題)と政策パッケージと政党制
今回、選挙で最終的に最も注目を集めた政策論点は「年金」であったように思う。これは、選挙前に行われた各社世論調査でも「年金問題」が筆頭に来ていたことから明らかである。しかし、今回の選挙における判断材料がそれだけでなかったことも明らかである。本間正明氏から始まり、松岡利勝農林水産大臣久間章生防衛大臣赤城徳彦農林水産大臣麻生太郎外務大臣のスキャンダル、失言と、それに対しての安倍晋三総理大臣の対応に対する幻滅の評価も当然、今回の自民党敗北に強く働いていたことは疑いない。
私は、スキャンダルや失言に対する失望を選挙における判断材料として用いることに反対しない。一部、政治学者やマスコミは「政策中心」の投票を推進するあまり、スキャンダルといった問題を強く反映した選挙結果が出た場合に、強く反発することもある。しかし、それは反発すべきことではない。政治的態度は、政策に対する評価だけでするものではないとも言えるし、スキャンダルなどへの評価も、実は政策に深くかかわる問題だと見ることもできるからである。
しかし、現状を見て大きく問題だと思える点がある。それは2大政党制への流れである。今回の参議院選挙をどう評価するか。勝敗だけでいえば、「安倍自民の敗北、小沢民主の勝利」である。しかし、もっとも大きな要素は必ずしも制度的に2大政党制に結びつくとは限らない現状の参議院選挙制度で、2大政党制的な票の動きがあったように伺える点である。選挙区における1人区が、「N+1」の法則に則り2大政党制的要素を帯びるのは仕方がない。しかし、本来多党制的結果を導き出し易いといわれる比例部分の票の動きにも2大政党制的要素がある。それは自民批判票の民主党への独占的流出である。今回、共産も社民も軒並み議席を減らしたが、得票自体はいわゆる基礎票レベルを確保している。浮動票の取り込みがまったくできなかったと共産や社民などを批判することもできるだろうが、それとは別に投票者行動を別の要因が規定したと考える方が自然なのではないかと思われる。
だが、ここで述べたいのはそういった投票者行動を何が強く規定したかといった、実証を必要とするようなことを予想として述べたいのではない。
2大政党制化進展に伴う「選択」としての「選挙」のあり方の危機を主眼におく。
今回の選挙で注目を集めなかった政策争点は「税制」「憲法」「医療」「教育」「外交」などさまざまである。しかし、こういった争点は重要であるし、必ず論じられる必要がある。そしてまた、それぞれの政策課題について立場は一通りではない。
「税制」に関しては、「増税必要なし」「消費税増税」「法人・所得税増税」などが簡単に考えただけでも思い浮かぶし、それぞれの中でも「ターゲットインフレで解消」「支出抑制で対応可」や「経済発展で自然増収が見込める」など現実の分析段階で多様性が存在する。
憲法」に関しても。「改正の必要あり」「改正の必要なし」に分かれるだろうし、それぞれの中で「日米安保破棄、自衛軍による真の独立を」から「アメリカの海外戦略支援のために海外派兵を可能に」「現憲法下でも自衛隊は合憲」「日米安保における負担回避のための方便」「完全無防備」まで幅広い立場が現実的には存在する。
その他の政策論点に関しても、「現状認識」と「対策」それぞれで複数の立場が存在すると考えることができるし、実際にも複数の立場が存在するであろう。
そうした中で、すべての政策争点に関して、投票者が意思を表示できるかと問われれば否と答えるしかない。投票者自身が、すべての政策論点に判断力を行使し、立場を決めるということが難しいということもあるし、まず何よりもすべての選択肢が提示されえないという「間接民主制」の限界が存在するからである*1
しかし、その中でも2大政党制がしかれた場合にどうなるかを考えなくてはならない。2大政党「Ⅰ」「Ⅱ」が存在する政治空間で、ある論点「A」「B」「C」にそれぞれ「1」〜「5」(グラデーションを有していると仮定。つまり隣接する数字は比較的近い政策とみなす。)までの立場があるとする。
その時、問題「A」に対して政党「Ⅰ」は「1」の態度を、政党「Ⅱ」は「5」の態度を示す。「B」に対して「Ⅰ」は「1」を、「Ⅱ」は「1」を示す。「C」に対して「Ⅰ」は「2」を、「Ⅱ」は「3」を示すと仮定する。
問題「A」に関して2党間の距離は極限にまで開いている。その場合、多数党側が強行に採決を行うか、少数等側に配慮し「2」や「3」を模索すると同時に、少数等側も議論において「4」や「3」の大体提案を示すという可能性が存在し。「2」「3」「4」が考慮される可能性もある。
問題「B」に関して2党間は「1」で一致しており、距離はない。その場合「2」などはともかく「4」や「5」が考慮、あるいは議論に組み入れられることはないだろう。
問題「C」に関して2党間の距離は近く、「2」「3」間での調整が中心になる可能性があり、双方の外側である「1」「4」「5」が議論に上る可能性は少ないと考えられる。
個別問題だけで考えたが、上記設定の中だけでも、問題「B」の「5」の立場の人間や「C」の「5」の立場の人間はいってみれば自分たちの立場を代表する存在がいないということになる。これに、問題の重要性に与える評価、政策相互間の関係の可能性という観点を含めて考えると非常に複雑な関係性と同時に、代表されない人々の多さというのが明らかになる。これは何も、ポストモダン的な代表されえない人々「ノマド」や「マルチチュード」について言いたいのではない。具体的な政策に対して、はっきりした態度を持った人が、それを国会レベルの政治に対してアピールする手段を喪失するということが言いたいのである。
その点に関して、CP研究会*2の「ソフトなクリビッジが錯綜して重層的に発生するこれからの政治状況にふさわしいのは、2大政党よりも多党制である。」*3という状況認識は正しかったと思うし、いまだに重要な点であると考える。それだけに、その後の選挙制度改革の流れが明瞭な根拠のなく、日本の歴史的政党政治状況の認識がないままにウェストミンスター賛美に突き進んでいったことが悔やまれる。http://bewaad.com/2007/07/31/219/#trackbackbewaadさんが紹介されている、http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070726_21th/index3.htmlの田原の言葉など本気で無知なのか、わざと無視しているのか…。しかし、そういった言説が影響を与えた結果が前回の小泉選挙であり、今回の参議院選挙なのではないかと考えるとき、今後の日本の政治に関しての不安がぬぐえない…。

*1:他制度にも何らかの限界が存在するし、間接民主制にとって、この限界は致命的な限界ではないと考える。

*2:このCP研には今回問題になった赤城氏も入っていた…

*3:『日本政治の再生に賭ける』「監修」佐々木毅「編」CP研究会、1993、東洋経済新報社