ダブルスタンダード(2)

話の前提
某サイト(放蕩息子氏)における議論を下敷きに書いています。
トラックバックは、氏が望まれていないようなので飛ばしません。
関心ある方は探してください。

 昨日の2008-03-24 - 小烏丸の日記(■[ニュース]ダブルスタンダード(1))の続き。
 簡単に私の議論を整理すると

  1. 左派の側のダブルスタンダードに見える部分をどう考えるか
  2. 右派の側にダブルスタンダードはあるか
  3. 右派のダブルスタンダードはあるとしたならば一体どういうものか

の3つのダブルスタンダードに関する議論がありうるという話

1の部分については昨日の議論で、存在すること自体の否定はしないが、部分しか見ていないのではないかという批判をした。


 で、今日は2の部分の話。ただ、これは個人的には今更言う必要はないのではないかと思うくらい明確に「ある」と考える。

 以下の議論では「右派」の中の「レイシズム」と親和的な部分に対しての議論を展開する。すべての「右派」に対しての議論ではない。*1


 簡単に言うと「人権」という概念と「レイシズム」は食い合わせが悪すぎる(ダブルスタンダードにならざるをえない)。*2


簡単に人権に関する議論を整理すると

  • 人間とみなす範囲についての議論
  • 人権の内容の範囲に関する議論

の2つに大別できる。
 前者の議論は歴史的には「奴隷」の問題や「人種」の問題が取り扱われ、アメリカにおける公民権運動の例をとるまでもなく、近年まで常にその範囲は拡大してきた。現在の議論は、脳死者、胎児や有精卵など応用倫理学で扱われるような限界事例に関する議論に主な議論の主題は移っている*3*4
 後者に関しては、バーリンが議論した「積極的自由」と「消極的自由」の問題や日本においても議論がある「社会権」に関する考え方や「新しい人権」など様々な、しかも複雑な議論があるので難しい*5。しかし、今回のようなチベットなどの例において問題になる人権は、「表現の自由」や「身体への暴力」など「消極的自由」により深く関わる人権であろう。


 なぜそれが一部「レイシズム」と食い合わせが悪いか?
 それは、彼らの議論が往々にして、「人権」を巡る上の二つの議論において、前者においても後者においても、一般的に認識されている「人権」の内容を批判するからである。


 前者については、たとえば「犯罪加害者に人権はない」「売国奴に人権はない」「左翼に人権はない」「在日朝鮮人に人権はない」「不法滞在外国人に人権はない」という言葉を見たことはないだろうか?
 一般的な人権の議論で言えば、上記の「○○○には」の○○○に当てはまる人間、すべてに人権はある。有罪判決を受けたなど特定の場合にのみ、人権が制限を受けることはあるが、「人権がない」などということはない*6


 後者については、上の例と深く関係するが「売国発言をする人間を取り締まれ」などという話がそれで、その場合「表現の自由」は認められないことになり。チベット問題において自分たちが批判している、中国共産党と同じことをするべきと主張していることになる。


 つまり、「レイシズム」の立場をとる人間が、「人権」という概念を使おうとするのならば独自の「人権」概念を確立し、一般的な「人権」概念に対して論争を挑むくらいでないと難しい。それならば人権概念全般を拒否する方が話はすっきりする。*7ただし、それは中国に対して「人権」という観点からの批判が出来なくなるということなのだが…。


面白かったので紹介


 言論を戦略として考えたとき「日本」が「中国」に対して「チベット」を解放せよと叫ぶのが「チベット」にとって有意義なのかどうかは議論があってよい点であるとは思う。
今、進められるべきは
第一に「中国(の武警や人民解放軍)による、武力行動を早期終結させること」
第二に「今回の事件の真相を外部の報道陣を入れて明らかにするよう求めること」
第三に「中国共産党中央とチベット亡命政府の間の対話を仲介すること」
なのではないかとは思う。(「二」と「三」は正直どちらが優先されるべきか分からない。)

*1:「右派」=「レイシスト」ではない。しかし、非常に重なり合うところも大であると思う。特に現在の日本では…。昔、ヘイトスピーチの議論の際にも書いた気がするが…。

*2:オランダでは極右に位置づけられていたフォルテイン党の党首フォルテイン氏のように、同性愛者の立場から、ヨーロッパの多元的な価値を認めないイスラームを排除すべしという主張を行っていた例もある。面白い例ではあると思う。

*3:良くも悪くも、アメリカにおける中絶を巡る議論が、政治的に重要な位置を占めるのはここに由来するといっても過言ではあるまい。宗教的な観点が強いことは当然認めるが。

*4:日本における憲法での「国民」という後による外国人の人権制限の問題はここではおいておく。

*5:単純に自由と権利を一致させることも出来ない。また、国との関係となるとその内容は複雑の一途をたどる…。

*6:だからこそ死刑という処罰が大きな問題となるわけだが。

*7:イスラームの一部や東南アジアの一部が、人権概念は西洋による押しつけであるとして拒否する姿勢を見せたことがある。しかし、個人的には、それは過去の植民地支配批判を難しくするのではないかと思う。