アキハバラの事件(1)
正式名称とでも言うべき名称がいまだにわからない
秋葉原連続通り魔殺人事件?
先日紹介したBBCの記事に述べられるまでもなく、今回の点を社会的に議論するのであれば、それは構造的な問題をこそ議論しなくてはならない。その前提に基づき、そのための事前整理に関してまず簡単に記す。
日本において、よく議論として混同されがちなのが、「社会構造の問題」の原因を探ることが加害者を免責するのではないかという観点から、避けるべきという議論である。これは刑事事件をめぐる裁判における情状酌量理由の問題と、「社会構造の問題」が重複することが多いことから起きる問題である。
しかし、この二点でもし同じ内容のものを取り上げていたとしても、あえて切り離して「社会構造の問題」を議論する必要がある。
日本の司法裁判制度において、被疑者の「生い立ち」や「犯罪にいたった状況」は、「反省(改心)する可能性」や「再犯しない可能性」を探るにあたり重視される。弁護側がその点を重視し、その観点から減刑を求めるのは当然の戦略である。ゆえに、社会構造の問題を弁護側が社会に先んじてか、社会の側で述べられたことを弁護側が利用して、それが裁判で使用されることは避けられない。
しかし、それがゆえに犯罪の背後にある可能性が高い「社会構造の問題」について、社会が議論しないのでは、個人の犯罪としてはともかく、社会が抱える犯罪リスクの問題はまったく解決されたことにはならない。あくまで、今回の問題を「社会構造の問題」として捉え議論するには、ベースとして今回の事件を扱うとしても、その議論に当たっては実質今回の事件の具体的な加害者、被害者は議論の外に置く必要がある。
その上で、今回の事件を通じて「社会構造の問題」として取り上げられている点を考える。
一点目は
- 派遣を含めた雇用の不安定化の問題
二点目は
- ナイフ規制、監視カメラ規制とこの件に関して出てきた社会に対する規制を含めた社会にけるプレッシャー(圧力)の問題
二点目の点に関してはいみじくもBBCの記事でも同じ点が述べられている。
三点目もし議論になるとすれば
- 秋葉原という場所について
上の二つの点は、本当の意味では分ける必要もないくらいに密接に関係した問題である。一般の多くの被雇用者の雇用が不安定化することと、社会における規制・監視の強化というのはセットで強化されてきたのだから。
三点目は、それがなぜ秋葉原という場所で起こったかについては議論がありうる。
彼が凶行の現場として秋葉原を選んだのは、おそらくはその曖昧さのためだ。もし彼が首相官邸や経団連本部に突っ込んでいたら、だれもがそれをテロと見なし、怒りの実質に関心を向けただろう。
東浩紀が述べていることは確かにそうではあるだろう*1。しかし、正直「テロ」だと言われると大きな疑問符をつけざるをえない。*2
関連
なぜ秋葉原だったのかという点に関して非常に鋭い指摘
(明日以降に続く)