民営の監獄都市あるいは監獄世界をグーグルは生み出すのか?

 過去の物語の中で、ディストピアとして描かれてきた監獄都市は、物理的に都市を囲むことあるいは行政権力を伏在させることでその監獄性を確保してきた*1


 しかし、現代技術の発展は物理的制約、時間的制約を超えることに成功した。監視カメラの登場は、「まち」*2パノプティコン化に成功した。「まち」における監視カメラはダミーであっても、本物であってもかまわない。『監獄の誕生』でフーコーが述べたように、カメラで見られているかもしれないという思いを抱かせることに成功すればそこに監獄が現れる。


 ここまでは前置き


 プライバシー権は日本でも「新しい人権」の一つとして認識されているが、その名のとおり権利としては比較的新しいものである。しかし、それは昔からプライバシーというものが権利として意識されてこなかったのかというと違う。私生活への公権力介入に対する抵抗というのは昔から存在する。しかし、「新しい人権」としてのプライバシー権が近年あえて声高に叫ばれるのは、その侵害の進展が一方で存在するためである*3


 そうした中でグーグルの「ストリートビュー」について

河合氏は、画像の公開にあたっては「法律的に検討した結果、公道から撮影したものであれば、基本的には公開して構わないと考えている」と説明。また、不適切な画像については、ストリートビューのヘルプ画面に「不適切な画像を報告する」というリンクが用意されているため、ここからユーザーからの連絡を受けて対処を行うことで対応していきたいと述べた。

ただし、こうした処理が完全ではない場合もあるため、問題のある画像については報告してほしいと説明。また、報告用のページでは、プライバシーに関する画像として「人の顔」「ナンバープレート」「自宅」といった項目が設けられており、自宅の画像が公開されたくないという要望についても、メールのやりとりなどで確認が取れれば対処していくとした。


 一方、「インターネットに接続しておらず、どのような画像が公開されているかも確認できないような人への対応はどうするのか」という質問に対して河合氏は、「難しい問題だが、まずはユーザーに見ていただいて、その中で本人でなくとも、この画像にはプライバシーの問題があるのではないかといったことを、ユーザーに教えていただきたい」と回答。「公開にあたってどのような形がバランスとして最適であるかについては、今後も引き続き検討していく」と述べた。

裁判の中でグーグルは「衛星技術の進歩を受けて、現代では砂漠の真ん中に居たとしても完全なプライバシーなどは存在しない」と述べて、「Street View」の機能はプライバシー侵害だとした原告らの主張に対して反論を行った。

 「ストリートビュー」のカメラはリアルタイムの画像ではない。しかし、それが目指している網羅性や、記録しようとする一方的性質は非常に暴力的だ。都市の死角を消し去り、記録される側の意見は無視される。リアルタイムでなくとも、いや逆にリアルタイムでないからこそ、記録されてしまったものはどんなに後になってモザイクをかけられようともその記録は残ってしまう。


 というか、まずなによりも直感的に気持ちが悪い


 裁判の中でのグーグルの主張も非常に危うい…。「技術の進展の前にはプライバシーはない」というのでは、今後ともそれを積極的に侵害していくという宣言のようではないか。技術的に「完全な」プライバシーがないからこそ、新しい権利としてのプライバシー権が叫ばれているということをかんがみれば、グーグルの主張は主客を転倒しているともいえるのだろうが…。


追記
 一方的に映されていた人が、裁判連発したらグーグル的には結構ダメージを受けるんではないか?アメリカの裁判の行方も気になるが…日本の方が建築物内が映っている気がする。公道から映したからよいというのはどれほどの正当化論理になるか…。


 個人的に、匿名でかまわないので某氏の登場を願いたいところだが、、無理と思うので今度オフレコで意見を聞かせてください。

*1:『要塞都市LA』マイク・デイヴィス。ただし、読んだのは大分前なのでうろ覚え。

*2:先進国全般の「まち」に限定すべきかもしれない。

*3:それだけでなく、私的空間の実質的な拡大という要素もあるかもしれないが。