その議論は多分半周、いや一周遅れなのではないだろうか
デカルト以来の近代科学(あるいは西洋近代)を批判する議論というのは大分前から登場している気が…
当然色々な批判の論点はあって、社会哲学の方に目を向ければ多文化主義だとか…ポパーの反証可能性の話も「合理性」の非合理指摘?という点では、近代科学概念の限界批判という部分があるのか?
世界の一部(というかむしろそちらの方が多いかもという部分)では、無信仰は軽侮の対象だった。しかし、最近はそうでもない*1ということが言われる…。それは「神などいない」ということが共有されたというわけではなくて、無信仰がある種の信仰だとみなされうるようになったと捉えた方が自然なのではないかと考えられる。
*1:ところが増えてきた