中立性、理性、民主主義

例の大阪の行政代執行問題に関して
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htm


Dr-Seton氏のコメント欄は、氏の記事がどこかで張られたのか、まったく氏の記事を読んでないネジの抜けたようなコメントが占拠…。Dr-Seton氏、対応大変ご苦労様です。

で話はまず、保育園のイモ畑を潰した大阪府は本当に鬼畜なのか? - 狐の王国でKoshianX氏が述べた産経記事の読み方。これをDr-Seton氏は「自称中立」の典型的な悪質なポジショニングだと指摘し怒りを表明している。


KoshianX氏は、ブコメでそういう意図ではない旨を述べていたと思うが、この件に関しては私はDr-Seton氏の立場を支持する。KoshianX氏は、自身の示したような記事の読み方をした場合だれがどう不利になるかを完全に無視している。氏の出した疑問点について「府」側に明確な落ち度はない、少なくとも手続き上は…。そうすると「法的」には「園」側が一方的に悪いとなってしまう。そのあたりの「有利不利」は行政と言う法の運用権力と、その暴力性に直接さらされた個人との間での圧倒的権力不均衡ゆえのものである。それを覆す手段をどこに見出すかは、「園」側の戦略の問題となる。この場合、「園」はまず「差し止め」の裁判と言う法的手段に出ていたことは容易に見過ごすことが出来ない点ではある。

「中立性」の議論については、その中立性が一方の権利を明らかに毀損すると言う意味で、真に中立的ではない。むしろ、それが中立的な装いをとる事で、一方の不利益を積極的に肯定しさえするということで悪質であるといえる。


今度は「戦略」の面なんだが…
『熟議の理由−民主主義の政治理論』 - 小烏丸の日記をすぐ思い浮かべた…
最近読んだということもあるが…
Dr-Seton氏の立場はムフ的なのかもしれない。
コメント欄の人々はある意味で「中立性」や説得性といった意味での「理性」*1を強調している…。


私は圧倒的な権力不均衡下での抵抗運動が理性の枠にとらわれ得ないと考える立場だが…この立場は、突き詰めたとき、場合によってはテロリズムを肯定しかねないという点で非常に悩ましい…。

*1:それが真にカント的な意味での理性化には大きな疑いがあるが