ヘイトスピーチ・歴史修正主義・議論

こちらを読んで今からちょうど3年半ほど前のことを思い出した。
人権擁護法案」である。私は当時、積極的ではないながらも、「人権擁護法案」は筋の良い法案ではないと言う感想を持ったので反対の旨の記事を書いた。

そこで

 私は言論の抑圧を憎むのと同じレベルで「ヘイトスピーチ」や差別を憎んでいる。


 ここで一つ紹介。アメリカのコミュニタリアン、アミタイ・エツィオーニ(Amitai Etzioni)は、ヘイトスピーチを許さない環境、出来ない雰囲気を作ることを「法的」にではなく作ることを推奨している。その中には、黒人運動の代表者、ジェシー・ジャクソンのユダヤ人に対する差別発言が、現在行えばどのような社会的批判を浴びるかを考えれば分かるというような言い方をしている。ネットなどの比較的自由な言論の場では、見たくない人や意識していない人が見れないような環境づくり(18禁サイトの入場時に年齢確認を求めるようなものか?)の必要性を論じている。

と書いた。
この考え方は私の中では未だ変わっていない。
まあ、リベラルとコミュニタリアン間の論争も歴史的にはあった*1ので、それは日本においては又別途必要な議論であるかもしれないが。


ちなみに私は歴史修正主義ヘイトスピーチとは必ずしも考えていない。

ここでid:hoksyuさんが紹介されているが、歴史修正主義のいわば第一世代とも言うべきノルテ自身は必ずしも「ヘイトスピーチ」を意図して講演したわけではあるまい。
ところが、それは悪用される、しかも容易に
日本における歴史修正主義は、その既に悪用された段階で入ってきた。
ノルテの役は秦郁彦氏かもしれないし、中村粲氏かもしれないが、少なくとも私の知る限りでは彼らが(南京を巡る論争において)「歴史修正主義者」として扱われた例を知らない。
「被害を過小に評価している」という批判は聞いたことがあるが。


日本において、そして南京事件論争においての歴史修正主義者は渡部昇一氏や田中正明氏や東中野修道氏であった。
この人たちは今年初めの「はてな」における南京事件にかんする議論で明らかになったようにあきらかなトンデモなのだ。

しかし、彼らの言説は非常に強い伝播力を持っていた。
そして、それはあらゆる機会を捉えてゾンビのように蘇ってくる…


この現実を前に「ポストモダン的状況では仕方がない」*2といわれたらそれは結構多くの人が「ちょっ、おま…」となるのではないかと思う。


規制云々の話は後から出てきた上に主筋の話とは正直関係ないと思うが、面白い話題ではあったので。
主筋の話については時間がないので簡単にメモ - 小烏丸の日記で書いた結論に尽きる。

雑誌や出版社の編集者が企画して、大塚氏と東氏で『リアルのゆくえ』上で問題になった点についてもう一度明確に議論させればよいのではないかと思う。

今度はこれに、事前に大塚英志氏に今回の議論参加者の東氏への疑問と批判を取りまとめてもらえばばっちりだろう。
まあ、もう望み薄だけど…

*1:意味はあまりなかったんじゃないか説も濃厚にあるきがするが

*2:めちゃくちゃ端折ってます