グラントリノ

リベンジで、ターミネーター4をみた翌日に再び新宿へ
グラントリノを見てきました。

クリント・イーストウッドは、俳優としては今作が最後になるといっている様子。
駿さんみたいに、「最後の〜」というのが続く可能性もないことはないのでしょうが…
イーストウッド演じる主人公は、若い頃に朝鮮戦争に出兵、帰国後はフォードで組立工を務めあげ、引退している偏屈爺さん。
映画の冒頭は、奥さんの葬式から始まります。
偏屈なのはもともとなのか、妻がなくなったことで拍車がかかったのか、両方だと思われるのですが、離れて暮らす子や孫達とは意思の疎通が図れません。


車産業で栄えたデトロイトも、いまや昔。住宅街は全体的に荒れ果て、近年入ってきたと思しきアジア系住民が多くみられます。

何点か面白かったところを

  • イーストウッド演じる主人公は、朝鮮戦争時代の自らの行動に深く後悔を抱いている。このような設定は従来、ベトナム戦争における帰還兵が演じることが多かった。世代問題ということもあるだろうが珍しく感じた。
  • ただベトナム戦争も無関係ではない、隣人となるモン族の人びとはベトナム戦争に際してアメリカに協力したことで、祖国からの大量亡命を余儀なくされた人びとである。
  • 2、3世が英語をしゃべる(場合によってはモンの言葉よりも流暢ということもあるかも)のにたいして親世代は誰一人として英語をしゃべらないということ。
  • 出てくる登場人物、少なくとも主要登場人物にWASPが登場しないこと。主人公からしポーランド辺りからの移民の流れであり、周辺コミュニティを統括している教会もカトリック。主人公の知人も、床屋はイタリア系、建築現場の監督はユダヤ系と、いわゆるWASPは基本登場しない。
  • ところどころ笑いが起こるような演出が取り入れられていること。


ラストは、ある意味では予想通りなのだが…
4点目の登場人物の属性という点で
『グラン・トリノ』 - Arisanのノート
でのid:Arisan氏の評に一つ疑問を提起したい。


 アメリカ的価値観というのは本当は何なのかという、メタレベルの問いこそが本作で部分的に述べられた部分なのではないだろうか?Arisan氏が「アメリカの社会のあり方とか価値観」に対してイーストウッドが無批判だと述べておられるが、そこでアメリカの社会や価値観を構成しているのは一体誰なのかという問いが上記のキャスティングに現れていると考える。


 そうであるならば、一般的な「アメリカ的価値観」とされるものを、特に新移民の中でも適応が遅かったと一般的に見られるイタリア系やユダヤ系(しかも世代は上)が昔ながらのマッチョなアメリカを体現してしまうというある種の「ずれ」はノスタルジーを強調するためだけに描かれたものではないように思うのだが…。