なんでそこでこじれる必要があるのかな

http://b.hatena.ne.jp/antonian/20100203#bookmark-18984558
で召喚されたので。
以下は、私の主観的な捉え方がかなり入っているので、それは違うということがあればid:antonianさんからも指摘があれば(当然、id:Apemanさんからも)、ご指摘ください。


id:antonianさんとid:Apemanさんの揉め事
ピウス12世についてはid:Apemanさんのたとえの出し方のミスと思われる。
実際のところ「ユダヤ人ブロガーが「カトリックはピオ12世なんて教皇はいなかったことにすべ、とゆいだした。そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ」と発言したとして」という例は、実際に「「芸」として「生暖かく見る」」カトリック信者はいるでしょう。それこそがid:antonianさんのおっしゃる、カトリックの叩かれ慣れであり、私のような非カトリックからしたら強者の余裕(強者という言葉は当てはまらないかもしれないが、歴史的に強固な安定を保持してきたものの余裕とでも言うべきものでしょう)なのだと思います。



問題はガメオベルさんの言説に対する態度の問題なのでしょうが
id:Apemanさんは、ガメさんとid:antonianさんがコメントのやり取りをされていたのはご存知なのでしょうか?
これがひとつの問題だと思います。まあ、いろいろあってid:antonianさんのところにガメさんが断交宣言した後にコメントを書きにくるという変わった状況が続いていたわけですが。
こういったやり取りを前提にしたid:antonianさんの、ガメさんに対するまあ決して悪感情とはいえない、感情が「芸」というよりは「キャラ」に対する「擁護」として記述されたのだと思います。
その点では、某所で(ブログの愛読者としてあの文章を書くガメさんが(一方的に)好きだから)真実はどうでもいいと仰っていた某方とはまずもって「擁護」の軸は違うし、少なくともあの場であった「議論」(として成立していたか否かはおいておいて)についてはガメさんの問題性はid:antonianさんは認識しておられるわけで。


ただ、この「(部分的な)問題点は認識するけど、キャラはまあ芸だからしょうがないよね」という論立てが、問題がある場合もあるわけです。
その一例が、今回の件で出てきた「イザヤ・ベンダサン山本七平問題」といえるでしょう。
山本七平は明らかに嘘を吐いていたわけですが、それはさまざまな側面で見逃され、いまだに『日本人とユダヤ人』をお勧め本にあげるひどい人間すらいます。
http://president.jp.reuters.com/article/2010/01/03/B6B0F514-EBCC-11DE-B5FB-74E13E99CD51.php
いかにも「プレジデント」らしいですが
山本七平の問題点を挙げるときりがないですが、まあこれはid:Apemanさんの山本七平関連エントリ、まとめ - Apeman’s diaryあたりを読まれると問題の一端はご理解いただけるかなと思いますが。
ただこの批判は一般的な意味で「(部分的な)問題点は認識するけど、キャラはまあ芸だからしょうがないよね」ということであれば、id:Apemanさんの指摘は理解できるのですが、前段で述べているようにid:antonianさんとガメさんは以前から個別にコメントのやり取りと交流があったということですから、必ずしも有意義な批判とは思えないというのが私の感想です。


id:Apemanさんへ id:antonianさんは、別にモヒカンとかその他の用語を皮肉の意味でも批判の意味でも使っていないと思いますよ。実際のところ、「モヒカン族」の「大変に論理マッチョ」な議論に負ける、自称元研究者というのもどうなんだという問題になりますし。(しかも最初は正々堂々と受けてたってやるというようなことを言っていたのに、「失礼・無礼」を理由に逃亡)
実際、使用例としては「皮肉」「揶揄」として使われははじめて、かつ流通している(ネットの狭い領域だけでと思いますが)言葉ですので、使い方として適当だったかという問題はありますが。