で、早速

「人権について」
ジョン・ロールズ「万民の法」
「原初状態」から導出される「正義の二原理」。その中で、前提にされる「無知のヴェール」(自身の身分・階級・資産・能力・体力などの情報をまったく持たないとき)*1
という仮定。(この仮定そのものに問題が大きいことは分かっていますが・・・)
構成主義的手続きとしての「反照的均衡」(内省的均衡)。本質としては熟慮の行程であるといえようが、正義の枠内での権力の綱渡り的な拡大をも肯定してしまわないかという危険性もあるのではないかと思う。正義という枠さえ超えなければ、その権力の正当性はある意味正当化されてしまうように取れるからだ。

「正義論」と「PoliticalLiberalism」の最も大きな変化とも思える。重なり合う合意(overlappingconsensus)という概念の導入が結果的にもたらしたもの。私などは絶対的基底性を持つ「正義」という概念からのある種の後退とも取れるのですが。だからといって絶対的「正義」を規定することの危険性を避ける場合にとるべき方策についてまでは考えが及ばないというのが現状です。(ロールズが、正義の絶対化に依る危険性故に重なり合う合意の概念を持ち出してきたとは思えませんが・・・)

普遍性をもって拡大するためには、常にミニマム・スタンダードである必要があることは容易に同意できる点であると思います。抑圧性を排除しようという観点から、他者を抑圧するというのはその体制を押し広げようとする主体内面において矛盾を来たすと思われるからです。そのラインを何処に引くことが妥当なのか?やはり、同意できるライン、同意させられるラインという現実性の追及の段階になると重なり合う合意になるのでしょうか・・・

ロールズの日本で使われている文脈というのは「倫理学」「哲学」が多いんでしょうか?「政治学」的使い方というか(検索をかけてみた範囲では)言及があまりない気がしました。