大国風度

当代江北日記さんより(http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041128#p2)
確かにもっとも。「寛容」は大きなものが小さなものを受け入れるという意味があると思う。英語の「Tolerance」とはそういう意味では本来少し違うのかもしれない。
上記の記事を見て、大庭健氏が「寛容」は倫理的な問題にならないが、「非寛容」は倫理的な問題になるというようなことを言っていたのを思い出したので・・・。
内「政」干渉かというと必ずしも肯定できないし、政治家として国民の心情を対外的に代弁することは認められうるとも思います。それをカードに外交問題をこじらせるのが悪いという意見もあるかもしれませんが、それは同様にこじらせるネタを提供する小泉純一郎首相のほうが悪い。靖国参拝をすることで日本にとって対外的にマイナスが与えられることはあれ、小泉首相はじめ最近の若手政治家が良く主張する「国益」が無いというのが現実ではないでしょうか。
国内的に言えば梅原猛氏が言うように靖国は、そもそも正当な神社で無いと言うような宗教学的な否定。(この説はじゃあ国家神道とも違うから特定宗教を支援しているということにはならないというような話も出てくるとは思いますが)*1国家神道によって、キリスト教であろうと他の宗教の信徒であろうと祭り上げてしまう乱暴さの指摘というように様々な靖国問題の指摘は出来ると思います。
私は無宗教の追悼施設を作るというのが妥当な解決策であり。国家として被害者に素直に謝罪する施設としては適当だと思います。

*1:国家神道と明治神道とは重なり合う部分も多いですが、違っている部分も多いと思います。これは説明すると非常に面倒くさそうなので・・・ここでは回避