司法改革?

私は基本的に、裁判員制度には反対の立場です。・・・あとロースクール制度にも未だに反対です。
で、昨日(11月25日)、私の通う大学に、裁判員制度の旗振り役ともいえる佐藤幸治氏(京都大学名誉教授)が見えられ、「裁判員制度の根底にあるもの」という表題で話をされるという事なので、聞きに行ってきました。*1

で、講演のそもそもの設定が、法科大学院の教授陣が中心になって「お呼び」して、話をしていただいたという形の話のようで。座席も、一般の学生は、入り口にて「前半分には座らないでください。」と言われ、表では教授陣と佐藤氏と法科大学院学生が記念写真撮影。
最初から馴れ合いか、めでてーな*2

佐藤幸治氏、まあ多分キーワードで登録されているでしょうから今更説明する必要は無いでしょうが、司法制度改革審議会の委員(Ži–@§“x‰üŠvR‹c‰ï)で、またつい先日話題になった皇室典範に関する有識者会議(皇室典範に関する有識者会議)のメンバーでもある方です。

話の内容としては「裁判員制度」の導入によって、国民の広い参加に基いて、司法(=法の支配)を拡大して行こうという立場でのお話だったようですが。

概ねレジュメの話に則って、氏が喋った内容を紹介すると。
「Ⅰはじめに」において簡単な挨拶をされた後。
「Ⅱ今般の司法制度改革の背景と理念・内容」において、まず「(1)史的背景」として、戦後社会の行き詰まりから生じた改革の要求であるという旨の話があり。そこにおいては、日本国憲法の成立も、明治憲法体制の行き詰まりによるものであったという話の運びの中で、戦前期、明治憲法体制下でのゆがみについての一般的な説明があった。(非常に一般的な話で、天皇親政の体を取りながら責任回避の為に距離を取り、首相も「同輩中の首席」に過ぎなかったことから、陸軍省海軍省の暴走を招いたとするもの。)
戦後日本憲法体制下も同じような文脈で、平成9年の行政改革会議の最終報告の「経済的に豊かな社会を追求する過程で、知らず知らずに、実は新たな国家総動員体制を作り上げたのではなかったか。」という話を引き。80年代や90年代の問題の噴出に対し、「失われた10年」などの時代に、実は改革が様々に打ち出されていた*3と評価した上で、その改革の共通の思いを「国民が主体になる」*4として。
司法制度改革の意義を、「今般の司法制度改革は、これら諸々の改革を憲法のよって立つ基本理念の一つである「法の支配」の下に有機的に結び合わせようとするものであり、まさに「この国のかたち」の再構築に関わる一連の諸改革の「最後のかなめ」として位置付けられるべきものである。」I@¡”Ê‚ÌŽi–@§“x‰üŠv‚ÌŠî–{—”O‚Æ•ûŒüや「法の精神、法の支配がこの国の「血肉」と化す、すなわち、「この国」がよって立つべき、自由と公正を核とする法(秩序)が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくようになるために」ˆÓŒ©‘iˆÄj
にあるとする。

その上で司法改革の三つの柱を「3F」として
familiar fare fast
を目指して法曹のあり方(人材育成)と国民的基盤の確立(その柱としての裁判員制度)を意図しているということであった。

「Ⅲ裁判員制度の骨子と導入の背景」

・・・時間がかかりそうなのでここで一休み・・・

*1:いざとなれば質問してやろうという気で行ったのですが・・・聴衆とのやり取りなし・・・

*2:何も私みたいに最初から批判的な立場で、見る必要は無いでしょうが・・・それでもねえ?

*3:それは自分が半ばコミットしていた改革だから悪くは言わないだろうが・・・

*4:この部分何かを引いておられたようですが、出典部分を聞きとれず