靖国・メモ・A級戦犯

富田メモ後の靖国神社論議・・・
靖国神社=国家の鎮魂施設というのを所与のものとして扱う方向に向かっていまいか?
靖国神社が特定宗教である神道の神社であることを置き去りにしていまいか?
靖国神社が一宗教団体として、戦後政治的主張を行なって来ていたことは無視していまいか?
ここを回避しようというのが、A級戦犯分祀論・靖国神社国家管理論であろう。まだこの主張を行なって政教分離と政治的な戦犯責任論を回避するという考え方は政策的にも分かるし、まだ論理的に説得しようという意図は感じられる。私はこの意見には正面から反論するが・・・。
ところが今の所与のものとして扱うという論調では、そういった問題点が完全に無視されているような気がする、というか批判を許さないようなところがある気がする。数年前に高橋哲哉の『靖国問題』が出たときにかなり、靖国問題に対しての議論は行なわれてきていたと思うのだが・・・残念ながら「メモ以降」の靖国論議には前の議論の成果はなんら生かされていないように見える。
新国立追悼施設論なんか完全にネグられてるじゃないか・・・