司法とは

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070201it13.htm?from=top(「裁判員」参加、消極的な人増える…内閣府調査)
http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200701300389.html(犯罪被害者も「論告・求刑」 法制審が要綱案)
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版(裁判員制度フォーラム、新聞社2社が「サクラ」の参加者集め)
ここ最近の「司法」関連ニュースを上記に三つ並べた。
三つ目のフォーラムへの動員に関しては、明確な意味で何かが「悪い」ということではなかろうから、問題視されるとすれば「お金を払っていたこと」なのであろうか?
まあ、三つ目の事件に関しては無関心層が多いことの表れなのであろうが・・・。

私は一貫して「裁判員制度」に反対している(有効な反対運動をしている訳でも、影響力があるわけでもないが・・・)。それは司法の責任逃れでしかないと考えるからだ。
憲法では司法は三権の一翼をになうものと定義されている。しかしながら、日本の司法は戦後一貫して「行政」の付属物であり続けた*1。避け続けられる憲法判断、根拠の良く分からない統治行為論、是正を勧告しない一票の格差・・・内閣法制局の一付属機関かと見まごうばかりの機関であった。
それが裁判の民主化大義名分の下に行なった「裁判員制度」導入と「論告・求刑への被害者の参加」容認・・・。一部マスコミの「判決での懲役期間が短すぎる」であるとか「極刑の適用基準が厳しすぎる」といった訳の分からない司法判断批判に対して、現行制度の内部での司法判断では対応できない(重く出来ない)と判断しての決定なのだろうか?
確かに、この制度を導入することで「求刑には被害者も参加したので不当に軽いということはありません。」とか「判決に裁判員が参加しているので司法官だけの判断ではありません。」と主張をすることは出来るだろう。
しかしながら、これは余りにも自らの責任を放棄しすぎている。
朝の確か、日本テレビの「ズームイン!!SUPER」であったと思うがコメンテーターが、刑法に「復讐」的要素を入れるべきだと主張していた。「近代」も「理性」もかなぐり捨てよというのか・・・。ハンムラビ法典にでも帰るべきだと主張するのか・・・。
もう本当に勘弁してくれ・・・佐藤幸治先生あなたの罪は重いと思いますよ・・・。

*1:アイゼンシュタットは著書『日本比較文化論的考察』において江戸時代、行政が司法権を行使している点を指摘している。