ダウト、ダウト、ダウト

本日は憲法記念日。当然、本来は戦後憲法の成立を記念すべきところ・・・
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版(「社説 還暦の憲法を時代の変化に合う中身に(5/3)」)
「時代の変化にあわせた新しい憲法」とはなんだろうか?現在の改憲の運動において目的は9条以外の何者でもない。しかし、改憲推進派の多く、そしてマスコミの論議の中心は「新しい」の部分にのみ視点を集めることに努め、まるで憲法論議の中心が「環境権」や「プライバシー権」などの「新しい」権利の書き込みこそが論点であるかのような主張を行なってきた。その代表的な例が上記日本経済新聞の社説である。そこにおいては、改憲において戦後政治の大原則「平和主義や国民主権基本的人権の尊重などの基本理念」は大きな変更を迫られないかのように論じられる。
正直な所、愚か極まりない。こういうのを愚劣な策謀と言わずしてなんというのか。そういう意味で、そもそも「戦後レジーム」の変更を言う安倍晋三首相ラインの主張の方がまだ正直と言えるし。また安倍首相に近いラインから経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版(超党派議連、独自の改憲提言・「天皇を元首に」)のような議論が出ているということを過小評価あるいはあえて無視しているのではないだろうか。ただ、この二つの例は正直な点は評価するが、憲法議論と言う観点からは「冷静に憲法改正を議論できるまで政治環境が熟成した証し」からほど遠いものと言わざるを得ない。安倍首相は、どこかの講演会で「現行憲法をつくったGHQは素人だった」と言ったそうであるが、それは素人が作ったものは玄人の作ったものに取って代わられるべきだ、自分たちの案は玄人の案だという考えなのかもしれない。しかし、正直なところ自民党憲法案や安倍首相の考えている「新しい」国の方向性に基づく憲法案がGHQ憲法案以上に憲法あるいは立憲主義に理解があるものとは思えないといわざるを得ない。

また、日本経済新聞の社説に関しては後段の「欠落している参院改革」も全くの的外れと言わざるを得ない。参議院の規模と権限の縮小を求めているが、ではその参議院はなにを期待し、どこに意義を求めるかが欠落している。参議院無用論として挙げられる議論に「カーボンコピー論」(参院無意味)と「衆議院の議決の妨害論」(参院権限過大)のある意味二つの矛盾した議論が提議されることが多い。福元健太郎氏の参議院不要論などは前者に位置付けられると思うが、これは衆参多数派が分化した状況や93年以降の自民党内での参議院会派の地位向上などが反証として挙げられるのではないかと思う。それに対して日本経済新聞の議論は後者に属する訳であるが、ここで求めているのが衆議院と同じ結論であるべきだと言うのならばそれこそ不要論になるわけで、参議院があるがゆえの議会戦略や基本不定期の衆院選挙に対して2年スパンで選挙が行なわれる参院選挙が現実の政治過程に大きな影響を持ってきたことも否定できないはずである。結局、ここで日本経済新聞の言いたい参院制度改革が何を目的にしたいのか、どういう参議院像を抱いているのかが判然としないということが大きな問題であるし。その他で論じられる参院制度改革論議においても同様のことがいえる。それが民主的決定にどう資するかの議論がかけているのではないかと思う。民主的決定など要らないという主張なのかもしれないけれども。