ダブルスタンダード(1)
- 二重基準(ダブルスタンダード)とは何かという議論
- 「政治利用」とは何かという議論が某所で行われていた…
- 左右の問題(この議論、日本においては、いい加減不毛な気がして来た。もっと、具体的なスタンスと背景とする思想について自覚的になるべきであるはずが…。)
議論がかみ合っていないので、議論整理を兼ねて絡もうかとも思いましたが…blog主氏が抑え目に議論をしているのに、相手側が一方的に暴れている。また、blog主氏が「普段絡まないのにこういうときだけ絡まれる」旨仰っているので直接はトラックバックも送りません。
議論の内容は「チベット問題」
自身が右派を自認される某サイト主氏が、チベット問題について一部右派の述べる議論について疑問を呈されたことにブックマーク、コメントが殺到していた。
指摘内容としては「(一部右派の)*1チベットを支持せよ、チベット人の人権を守れとの主張は、中国共産党批判をしたい一身から来ているのではないか」というものと
「チベット独立を支持せよと主張している(一部)右派もいるが、ダライ・ラマ自身は独立を主張していないことを一体どう考えているのか」*2という非常に真っ当な疑問を呈しておられた。
それに対する批判というのはまあ前者に対しては「そんなことない」であったり、「では非道を見過ごせというのか」というものであったり、呈された疑問に対しての回答としては答えになっていないものばかり。後者にしても「そんなの関係ない」問い旨の意見が多かったように思う。
まず、3の部分の議論である。個人的に面白かったのは、サイト主氏を「サヨク」扱いする人々がいたこと。サイト主氏自身は「靖国で英霊のために涙を流した」というような方で*3自身でも右派を自認している方。
この議論で思い出したのは、イラク戦争前後の某保守系雑誌で、親米か反米かで議論の対立があったこと。それぞれが自分こそ「真正の保守」であるという言い合いをしていたように記憶している。「保守」の議論であれば守るべきものの内容に関する争いで、議論が有効なものとなりうる可能性がある。しかし「左右」という全体の中での位置づけで、かなりの部分決定してしまう要素に関して、「自分から見て左だから左」*4という議論しか出来ない幼稚さに唖然としてしまう。
1の部分については、ダブルスタンダードは何か、あるいは存在するかという議論
が議論になるであろう。
左派の側のダブルスタンダードの指摘内容は、国内においては*5「人権、人権」と叫ぶくせに、なぜ中国のチベットでの人権抑圧には声を上げないのだという主張。この議論についての疑問は多々ある、具体個別のあらゆる左派団体が声を上げなければならないのかという疑問、本当に左派団体は声を上げていないのかという疑問。大きく分ければこの二つである。
前者の疑問には簡単に答えられる「無理」…活動目的が国内における人権擁護の団体だからといって、あらゆる海外の人権抑圧に抗議の声を見えるところで上げよというのはいくらなんでも過度の要求である。共産党などが抗議の声を上げるべきだという主張があり、それは幾分か可能性のある主張だとは思う。けれども、共産党のアメリカ批判は「日本政府が支援しているアメリカ軍が非道を行っている」という論調が多い。そこではあくまで主旨は「日本の間接関与」におかれている…。そういう意味で、日本共産党のその内向きさはまことに日本らしいともいえるし、日本の政党としてはそれで十分ではという気もしなくはない。
後者の疑問に関しては、少なくとも日本人も加入しているような世界的な人権団体、ヒューマンライツウォッチであるとか、国境なきジャーナリストだとか(アムネスティも追加)*6、普段右派が腐している団体は今回のチベット問題にもきちんと発言している。左派にダブルスタンダードがまったく存在しないとは言うつもりがないが、把握する努力をせずにダブルスタンダードだと言い切るのは非常に無理があるのではないか。
長くなるので続く(2、3部分は後述)