歴史修正主義に対するポストモダン哲学からの最悪の返答

大本の話は『リアルのゆくえ』での東浩紀氏の発言
2008-09-17 - kom’s logさん経由
後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」 | 女子リベ 安原宏美--編集者のブログ
ここでの大塚英志氏の発言は非常に正しいと思う。


その上で、これも
2008-11-26 - kom’s logさん経由
2008-11-14

僕はブログでよく叩かれている
雑誌をあまり読まないのでブログで批判されないと気付かない
『リアルのゆくえ』
南京大虐殺について僕はあると思っている
しかしあるという奴とないという奴がいてこれを調整するのは不可能
いくらでも理論武装することは可能
この世界で公共性を考えるなら、まずあるいう奴とないという奴がいるんだ、
ということからはじめないといけない
と書いたところ、案の定批判が来た

批判が来るに決まっている発言
まさにそのまんまの反応が来る
何故分かっているということを信頼できないのか

最後の一行はいまいち判らないのだけれども

左翼系の公共性の議論は突飛に見える
しかし公共性の定義の通りやったらそうなる
絶対的な真理なんかない
討議は無限に開かれていないといけない
僕はそういうところが出自なのでよく知っている
そのまんま実現するなら、南京大虐殺はあるという奴とないという奴が要る、という包摂
しかし歴史的真実は一個である云々


僕の発言がどこから出てきているのか
デリダ
指導教官は高橋哲哉靖国問題』で有名
デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる
言うということはデリダを裏切る
左翼とかポストモダニストが言っていたことはそういうこと
という文脈で話をしていたのだが、本では南京の部分だけが残された
それがネットにコピペ
ばーっと批判


様々な見方、無限の寛容を認める
テロリストを認めるということに近い
そういうことを言っている人間が、
右翼とか保守主義に対しては、ほとんど愚直に対して真理だと言う


これは非常に難しい問題
従軍慰安婦は、軍の命令なんかはなかったんじゃないか
南京大虐殺は、あっただろうけど規模は小さかったんじゃないか
全ては解釈ゲーム


# 去年もあったアウシュヴィッツの話


世界はこう見える、というのは複数存在する
許容するのが公共性なんだ

アーレントホロコーストがなかったと言う言説を許容しないだろうし
高橋哲哉南京大虐殺はなかったと言う言説を許容しないだろうと思うのだが…
なんでこうしたレベルの返答であったとしても、『リアルのゆくえ』内で大塚英志氏に反論しなかったのか。大塚氏の追及を東浩紀氏は人格攻撃と評したのはなぜか…。