大阪市の区長問題に関連して考えたこと

@sunaharay先生へのご返答
2点、いや3点の問題が交錯してしまっている感じがありますのでそれをまず整理します。
私の当初のtweet
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120106-OYT1T00058.htm?from=tw
この記事に対しての

端的に行って一期目は反橋下区長を混ぜて当選させるのが橋下氏側の権力構造的に有利だろう。その上で数年かけて反橋下氏側区長を敵(抵抗勢力)として描き出して攻撃する。一期目から自分の見方で固めて独裁批判受けるより、抵抗勢力に対して仕方なく回りを固めたという形式が有利だからだ。私は橋下氏に対して批判的な人間なので、もし橋下氏が反橋下区長を誕生させたとしてもこのようにしか考えない。そこで選ばれる反橋下氏側区長は橋下氏側にとって御しやすい「反橋下」でしかないのではないか…そういう覚悟はしておいてもよいと思う。
09:10:45 via web
09:08:33 via web(2つのtweetを統合、それに伴い接続部を修正)

1点目
ここで問題にしていたのは、橋下氏や維新側の行動として想定される権力維持のための最適行動とは何かという見方である
橋下氏や維新の会側にとって、大阪市24区の区長をすべて、橋下氏支持者や維新の会関係者で埋めるのは好ましくない
政令指定都市区長職は地方自治法施行令174条の43に定められる一般職公務員であることが通例であり、それを政治任用で埋めるということは間違いなく従来の首長よりも行政組織内部への強い介入権を得ることになる。
公職選挙法上の地位にある東京都の区長と違って、法的な独立性の根拠がない以上、大阪市区長と大阪市長の間の緊張関係は非常に小さく、その緊張関係を保護する法的・民主的基盤(それこそ橋下氏の論理に則って言えば市長に絶対服従すべき市職員でしかなく、東京特別区区長のような区民の支持と言った民主主義的なものがないため)は存在しない。
大阪市区長に保障される「職責」範囲は「市長の許す限りにおいて(=市長の気分を害さない範囲)」でしかない


その上で、橋下氏のこれまでの政治戦略(これは小泉氏の政治戦略とも通じるところがあるが)は「敵(問題)の単純化」と「その敵に対する憎悪を煽ること」である。
まあこの戦略に際して最も有力な描きだされる敵は昔から変わらず「背後の一突き」論が便利な訳だ
逆にいえば、自分で味方を選んで、それが邪魔になった場合は中々これは使いにくい(コミンテルンの陰謀に通じるスパイ潜入説使用する人も時々いるけど)
懐の広いところを見せて、意見の違う人間も入れたけれども、まさにその人が「背後の一突き」の主体だったというストーリーは非常に使いやすい上に、その後の自己の権力強化に効果的に働く。
「変な奴(意見の違う人間)を内部に招き入れたせいで自分の「改革」を貫徹できなかった、今後は同志だけでやっていく」という純粋化・排除を正当化することが容易になる(これは区長に限らず他の市役所職員あるいは府庁職員にも対象は拡大応用できる)


今回の区長応募に際して意見を違う人間を区長候補そ採用するということはそういうことではないか、職責の不明確さ(あるいは不明確を超えた基盤のなさ)から考えられる必然ではないかというのが、私の上記2tweetで述べたかったことである。


2点目
それに対して砂原先生から以下のようなコメントが来ました

@sunaharay 熟議、とは言いませんが議論の余地もないということですか?個人的には人格を理由に全否定するようなことは避けるべきだと思ってますが。 RT @kogarasu1982: 私は橋下氏に対して批判的な人間なので、もし橋下氏が反橋下区長を誕生させたとしても↓のようにしか考えない。

このコメントは、1点目で述べた観点の議論とはちょっとズレがあります。
まず一つは、熟議あるいは議論の主体は何かという問題
一方の主体が橋下氏を指すのは明確ですが、もう一方の主体は「橋下氏の主張と緊張関係のある区長候補(あるいは反対の立場で成立した区長)」なのか「橋下氏に批判的な大阪市民」なのか「橋下氏に批判的な@kogarasu1982(id:kogarasumaru)」なのかがちょっと判然としません。ただ、私が、橋下氏が区長選択に際して反橋下区長を誕生させたとしても信頼できない(実質性を伴わない)と述べたことへのご意見ですので3番目として私は捉えましたので

いや、政策的な歩み寄りの余地(細かい政策的整合性でなく、理念レベルで)があるならば一概にそうは言えないでしょうが、そんなこと基本的にあり得るでしょうか?人格的な問題ではなく権力政治的な戦略の問題として非常に高い可能性として予想されるのではということです。福祉の切り捨て、公務員給与の削減、(官公労だけにとどまらない)労働組合への攻撃、教育予算の一律削減と競争という名でのその正当化、教職員の思想的選別…この辺の話って橋下氏や維新側が譲れない絶対のラインではないのでしょうか?@sunaharayさんがその辺りの話で「自分は(橋下氏や維新側政策に)譲れる」という、そして個別議論である程度柔軟な運用を引き出すことで妥協点が見つけられると考えておられるのであれば、それは私との決定的な政治観の違いによるものと言わざるを得ないというだけのことかと思います
14:55:59 via web
15:03:19 via web
15:05:35 via web(3つのtweetを統合)

この一連のtweetはちょっと問題で2つの議論を混在させてしまっています。
ですので先に1点だけまず述べますと
上のtweetに対する砂原先生のご返答

@sunaharay 政治観の違いと言われるとそれまでかもしれませんが,僕には彼らが議論していること全てが聞く価値のないことだとは思えません。(私は切られる側ですがw)公務員給与だって考えるべきところはあるのでしょうし,労働組合だって全く問題がないわけでもないでしょう。

@sunaharay 少なくともそこを議論して欲しいという意見が多いことは認める必要があるんじゃないかと思います。それに対して,彼らが好き放題していて問題だ,という二元論的な問題設定は,個人的には取りたくないと思っています。

@sunaharay あと,個人としては「細かい政策的整合性」というか,細部こそ大事だと思っています。反対に見えるような哲学でも政策的には全く別ものということばかりではないですし,それを程度問題として議論することこそが大事なのではないかと。


実際の政治運用について「細部」の実際的政策運用の議論を意見の違う主張と行い、首長の主張する過激な削減を緩和するなどと言った政治行動の重要性は砂原先生の述べておられるように非常に重要な行動と思います。そしてその部分において維新側や橋下氏側(ここでは実際の運用にあたって最も基軸となる予算については議会が重要になるという点で維新の会を先にあげる)が、交渉を拒否して唯我独尊で行くとは思いません。その限りにおいて交渉(議論あるいは熟議的なもの)は可能でしょう。それをないがしろにする必要はないと思います。


3点目
ただ問題は交渉の席に着くか着かないかという重要な点に関わる議論があります。
労働組合のせいで大阪市政が腐っていて、大阪市職労を実質解体して市長の指示命令に対して批判的な意見をするような市職員は労働者として保護される主体として扱う必要がない、そうした労働者を守るような労働組合は必要ない」と主張する首長と、妥協点を探して交渉する「労働組合」というのは労働運動の主体として成立しうると考えられるでしょうか?
「教職員・日教組左傾化により、市の教育効果が低く進学実績が伸びない。思想選別をし、新しく就職する教員は自らの思想と合致するもので占め教職員労組は解体の方向に誘導する」という主張と交渉すること、あるいは交渉した際の妥協点というのはなんでしょうか?「左よりだけれども、ここから左は確かに排除されても仕方ないから組合から排除します。だから組合の存続を許してください」とか「分かりました「自由主義史観」の教科書を使っての歴史教育に積極的に協力していきますから解雇は勘弁してください」というのが「交渉」として存在しうるでしょうか?
私はそれは労働組合であったり、教育者としての自殺であるとしか思えません。
それってナチスドイツ下のユダヤ人ゲットー警察と本質的に同じものとなるのではないでしょうか?
そういう観点で私は絶対に交渉の机にすらつけない問題というのは存在すると考えますし、それは橋下氏の個人的な好き嫌いではない、政策手法における必然性と密接に関係した問題として存在すると私は考えています。