靖国参拝
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20040407AT1G0700I07042004.html
いままで、違憲判決となることが解っていたが故に判決を下すことを避けてきた。裁判所もとうとう判決を下さざるを得なくなってきたと言うことでしょうか。今までの裁判所は、訴え出た者に訴え出る利益がないと言うことを持ち出して退けてきました。多くの憲法裁判においてそれが用いられてきたことが、現在の憲法空洞化ともいうべき状況を作り出してきた大きな原因です。
現在、憲法問題調査会などでは憲法改正後の「憲法裁判所」の設立を考えているようですが。システムとして現在の司法機関で十分に対応可能なものです。*1
今後、より上でどのような判決が下るか。そして裁判所がどのような判決を下すか。「靖国問題」と言うことだけではなく。「憲法問題」として注目することが必要ではないでしょうか。
- 本当に大切なこと
すぐ靖国問題で、このような裁判を起こす人を中国や韓国の顔色を伺っているんだろうと述べる人がいる。果たしてそれが正しいかどうか私は裁判を起こした人々を具体的に知っているわけではないので述べることはしません。
ここですべきことは、この裁判を起こした人々の人格を問うことではなく。純粋のこの裁判の今日的意義をこそ問わなければならないとおもいます。上記で私が書いているように、この裁判は結果原告が負けてはいるが、画期的な判決であると言えるでしょう。それは従来曖昧化されてきた「目的評価基準」の明確化という個別的な問題もありますが。裁判所によって憲法問題が避けずに論じられたと言う部分の方に私は注目しています。
- 他の「はてなダイアリー」を見て
意外にこの判決に批判的な人が多い気がする。年齢的なもの、そしてネットという環境が比較的絞られやすい環境なので近い意見が比較的集まりやすいと言うこと自体は理解できるのですが。
ちなみに他国がこの問題にどうこう感情的に言うのは私は好意的には思いません。日本に対する理解無しにこの繊細な問題をあしざまに日本を罵ることでしか表現できないと言うのはそれだけで批判の対象になるとは思います。*2
(詳細な)判決文もいつか読んで見たいと思います。