政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年』日経BP社 2008.4.21
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まだ出版後すぐで書評などもあまりあがってはいないようである。
日本の選挙を「顕微鏡的なアプローチ」で分析し『代議士の誕生』(サイマル出版)*1という名著を記し、日本における選挙研究の嚆矢となった政治学者。
近年では、弟子に当たるパクチョルヒ*2がカーティスの方法論に習い、1996年の総選挙時、東京17区(葛飾区と江戸川区の一部)において平沢勝栄がどのように選挙戦を戦ったかを描き出している。*3
また、中日新聞(東京新聞)などのコラムを数多く執筆し、TBSの「時事放談」などにも出演されている。
本書は、『代議士の誕生』を書くにいたった経緯や政治学研究への道へと進んだ自らの経歴を紹介しながら、45年の長きに渡って見続けてきた日本という研究対象を生き生きと描き出している。
以下、本書の章立てにしたがって簡単に紹介していく。
序章「初めての東京」は、実は本書で一番面白く感じたのだが、著者が日本に来るまでの自伝的部分と、訪日直後の日本見聞記である。西荻窪で暮らしながら、銭湯や日本食(本書の題名になっている「秋刀魚」も、この部分で描写される。著者によれば「大衆食堂」で食べた「鯖とか秋刀魚」を食べて「口に合い」「食生活は革命的に変わった」と述べている。)を味わい、異国での貧乏学生*4生活を満喫している。
第一章「知日派へ」では、より自伝的要素が強まる。自らの幼少期、ミュージシャンをやっていた時期、大学入学から日本研究者へとつづく。著者は、自らを「レイト・ブルーマー(late bloomer)」(遅咲き)の人間であると述べ、「レイト・ブルーマー」にやさしい社会であるアメリカだったからこそ、アイビー・リーグの名門大学の教授にまでなれたと述べる。こういった点が、著者の述べる日本とアメリカの大きな違いとして示される*5。
また「知日派第三世代」*6としての、自らの日本への視線を整理している。
第二章「代議士の誕生」は、その章題そのままに『代議士の誕生』を書くに至る経緯と、書く際の苦労である。ホテルニュージャパンで、中曽根康弘に研究対象となる佐藤文生*7を紹介された経緯に始まり。「杯洗」を知らずに泥酔した、後援会との酒宴など『代議士の誕生』には描かれなかった魅力的な出来事が40年近くたった今でも色あせず書かれる。端々に記される、現代日本政治への意見にも、著者の視点からの非常に有意義な点が多い。日本の選挙研究者の手になる「小選挙区制の幻想」という指摘に、当時の推進者はどのように答えるのだろうか。
第三章「日米交流」では、下田会議をはじめとした日米議員交流プログラムへの関与や日本人の奥さんとの出会い、ニューズウィーク日本語版創刊時の参加など様々な日本と自ら、あるいはアメリカとの交流が紹介される。本章で面白いのは、2000年の「アーミテージ・レポート」が実は「アーミテージ・ナイ・レポート」で、政権が共和党であっても民主党であってもほぼ同じ内容のレポートとして出ていたのではないかと述べられる点と下田会議で出会った、江藤淳や佐藤誠三郎*8、高坂正堯への高い評価である*9。
第四章「「失われた一〇年」は分水嶺」は、日本の低迷*10の原因を様々な観点から推察する。「平等」(あるいはそれに関連して「公平」)という概念について、大人の責任、アイデンティティ、「安倍政権」、日本語(と英語)、外交のあり方とその範囲は幅広い。種々の提言に対して細かい点で、批判することも可能であろう。しかし、その指摘の多くは的を射ている。
第五章「日本政治―どこから、どこへ」では、四章よりもより自らの専門的な研究(日本の政策過程論、選挙論)の立場から見える日本政治の変化とその中での変容を見る。「非公式的な調整メカニズム」の崩壊*11、(明示的な)制度(ルール)によらない規範(マナー)による統制の変化、町内会などの人的紐帯の弱体化、(政策ではなく、政治のできる人間としての)党人派人脈の減少*12、中身のない「政治主導」「官邸主導」の掛け声、「説得する政治」の必要性、マスコミの力不足、財界の変容など、こちらでの問題視的に関しては前章以上に共感できる点が多い。
そうした日本分析を下しつつもなお「日本社会にはまだダイナミズムがある。」と悲観的になることを退け、良い方向に向かう希望があることを示唆する著者の姿勢に、本当の意味での実証系政治学者の、あるべき政治の見方というものを見た気がした。
本書を読んで関心を持った方は、ぜひ『代議士の誕生』も読んでみて欲しいが…。内容も博士論文を元にしているため格段に難しくなるし、そもそも気軽に手に入らないのが…。
追記
http://www.academyhills.com/school/detail/pub_seminar02.html
出版記念セミナーが開かれるらしい。興味はあるし、できればご本人を拝見してみたいが…時期とか…
再度追記
ジェラルド・カーティス「政治と秋刀魚――日本と暮らして45年」のススメ:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online
その後書評が出ました。
*1:でも絶版状態…。サイマル出版がつぶれてしまったのもあるのかもしれないが。
*2:漢字が出ないためので、カタカナで表記する。
*3:パクチョルヒ『代議士のつくられ方−小選挙区の選挙戦略−』文春新書2000
*4:といっても、当時の円ドルレートなどから言って明らかに裕福ではあるが。
*5:基本的に著者は、日本特殊論の立場には立たない。
*6:第一世代は、極めて少数の戦前の日本研究者。多くは宣教師の子弟。第二世代は、太平洋戦争勃発後に養成された日本研究者。その多くは、戦争という経験を軸にしたものであったため、日本に対して「熱さ」を持っていたと著者は述べる。第三世代が、著者らを中心とした世代で、日本に対する「好奇心」で日本研究をしていた世代である。第三世代までは、朝日新聞の記事による位置づけであるが、著者は続く第四世代と第五世代として、ジャパンバッシングの中心となった「リビジョニスト」と機能不全に陥った日本システムへの関心の高まりを挙げている。
*7:当時、大分二区から立候補予定の候補者
*8:確か、先述のパクチョルヒの東大での指導教官だったはずである。
*9:彼らに対する、私自身の評価はここでは措いておく
*10:著者はそれを単純に低迷とも失われた一〇年であるとも考えていないが。