滝山コミューン一九七四

 本書は、政治学者(主に天皇研究)で知られる著者が、自らの小学生時代を振り返りながら書いたものである。

帯の紹介によれば

(表)
マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった一人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー

(裏)
東京都下の団地の日常の中で、一人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義のテーマ。受験勉強と「みんなの平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か?そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か?

とある。


 昨年の話題作として取り上げられており、今更感が漂うが逆に少し遅れたことで、本書とは関係ないところにある本書に関しての気持ち悪さを指摘できるのではないかと考え本稿を記す。


 本書に関する書評は非常に多く代表的なものとしては

 上記の書評にほぼ一貫して貫かれているのは、「滝山コミューン」という、全共闘社会主義全体主義教育(本書の中では「片山勝教諭」と彼の率いる「5組」や、その教育手法としての水道方式に代表される)の影響の下に築かれた、今まで目に触れることなく存在したディストピアを、子どものときから疑問に思っていた著者が明らかにしたという評価である。(FACTAの阿部氏と春秋子氏は、その観点とは微妙に違う。)


 内容に関しての紹介は、上の一般的な書評群に任せるとして、ここでは本書に懐疑的な視点を示したい。上の書評群の評価については、本書の記述に全面的に負えば、そういう感想になるのはやむを得まい。そこで、本稿では、本書の記述そのものに対する疑問という観点を中心にすえ、それを踏まえた上で本書の内容を批判的に考察する。


 まず一点、どこまでが小学生のときの著者の感想で、どこからが現在あるいは小学生以降の著者の視点であるかが不明瞭。それは、当然といえば当然であると言える。しかし、書いている著者自身は分かれていると思っているのではないかと思う。その点については、視点の方向性への批判「特権的な意識」の自覚はあるけれども、視点が生じた立脚点への批判が欠けているのではないかというのは一つの感想である。当時の児童の多くが、当時の記憶がそれほど無かったこととの記述がより一層その感を強めた。これも個別的経験に制約されているが、自分の小学校の記憶にしても特徴的なイベント単位の感想でしかなく、あの時期の思いというような抽象的な感情をはっきりと覚えているということは少ないように思う。往々にして昔の自分の感想というものは、どこかしらで再強化がなされているものではないのか?


 二点目は、日本(学校)社会における「ジョック」と「ナード」の存在である。ジョックやナードは、主にアメリカにおけるスクールヒエラルキーを表す言葉である。日本の学校においても、当然クラス(学級)中に「目立つ子」(良い面でも悪い面でも)と「目立たない子」は分かれる。自分の体験レベルでは、小学校レベルにおいて「目立つ子」というのは、基本的に運動が出来る子であり、勉強が出来る子というのはせいぜい高学年に進んで初めてクローズアップされる対象に過ぎなかったように思う。
 「目立つ子」と「目立たない子」の二分法では、「ジョック」と「ナード」の存在を考えるのは難しい。また、日本とアメリカのもっとも大きな違いとして、細かな(確固たる物としての)ヒエラルキー分類はなされていないことが多い。しかし、実は日本の小学校では微妙にではあるが、他の学制に比してヒエラルキー構造が発達していたのではないかと考える。


 ただし、日本の場合のそれは「運動部」や「チア」への参加という明示的な資格ではない。もっとも重視されるのは多数派への順応である。その多数派は、マルチチュードのような放縦な集団ではない。教師であれクラス内の人気のある人間であれ、誰かしらを中心にした方向性を持った多数派である。つまり、少数の「ジョック」を中心に自己を規定しない、また規定しないことでジョックとの距離を埋める*1形で多数派を形成する。それは、ソ連型教育とまったく関係なく存在する日本の社会の図式といえるのではないかと考える。良くも悪くも、「片山先生」は「ジョック」だったのだ*2。また「小林君」もそうだったのだろう。


 そして、その中では、当然多数派に加わらない、あるいは加われない子どもも出てくるだろう。ここで、著者を見たとき、著者は明らかに後者に属する。鉄道オタであるとか、相撲好きであることが即排他される趣味として当時扱われていたかという点は省みられるべきである*3。しかし、それ以上に著者に際立つ視点は、集団行動への蔑視であり、多数派に対する違和感である*4。「ジョック」にもなれず、それを囲む多数者にも加われない人間は「ナード」の立場に立たざるを得ない。当時の著者が「ナード」として差別されていたか否かについては分からない*5。しかし「ナード」ゆえに差別されたのではなく、著者の言う「滝山コミューン」(=片山先生*6+5組=ソ連型教育)に従わなかったから差別されたのだと思いこもうとしているように読めてならなかった*7


 そういう点から見た時、著者の言う「滝山コミューン」も日本型「世間」を脱することが出来なかっただけなのではないかという感に捉われる。この点に関しては、ミヘルスを読んだ読後感に近いものを感じたが…。


 最後に一点、当時の時代状況(選挙の様子)などをクロスさせながら議論を展開させることは非常に分かりやすくて良いと思う。しかし、全国レベルでの左派の伸張は、左派に内在的な伸張というよりも右派(自民党)の汚職など、右派側のマイナスの方が影響としては大きかったと考えられる点は考慮されるべきではないかと思った。


また前提条件的な部分への疑問として

  • 団地について記述が弱い。団地・非団地などの観点に対して簡単な感想からの対立図式しかない。また、単一的、衰退する団地などのステレオタイプな団地感の記述しかないように思われる。
  • 70年代は本当に政治から距離を置く時代だったのか。諸社会運動を完全にネグっているのでは無いか。社会運動の盛り上がりと、個人化の進展は相反するものではあるまい。
  • 方法論として、反抑圧の言説が抑圧を孕むというのは、ポストモダンによる指摘がもっとも大きかったのではないか。であるならば「ひと」で自己批判的要素が出てきたのは時代対応として当然のことであると思うが。74年の、実践の現場にそれを求めるのは、後代からの時代性を無視した批判ではないのか。

書評補充

*1:同一化といってもよいかもしれない

*2:クラスの多くの生徒が支持していたのはその証であろう。

*3:私の周辺にも、虫好きや歴史好きなど、今で言うオタクの入り口に立っていた子どもは多かったように思うし、基本的に子どもはなんらかの形でオタクであることが多い。

*4:今の著者の視点か、当時の視点かを問わず

*5:4年生に石を投げられたという経験を書いているので、自覚的だった可能性はある。

*6:呼び捨ての部分と敬称を付けている部分に特に脈絡を感じなかったのだが意図はあるのだろうか?

*7:自己を少数派に規定する要因としての「滝山」VS「四谷大塚」というのはいかにも弱すぎる。「小林君」は「滝山」においても「四谷大塚」においても友人が多かったわけであるし。