ほとんどネタだと思っているので

某所でのトリアージの問題は明らかに例えとして間違っている…。


経営学における優勝劣敗の問題に、変に倫理感からの判断を導入するのは問題かもしれない。しかし、現実経済がその辺を完全に無視しているかというとそういうものでもない。取引主体は人間なのだから、経済的に不効率であっても、ある特定店舗(個人的に面識があるという程度の)で購入することをやめないかもしれない*1


トリアージの問題は倫理の極限における鬩ぎ合いの問題を無視できない。そこで感情を放棄する、感情を持つものを無視するのは、政策としても医療としても責任放棄でしかない。制度整備による、倫理的責任からの解放という側面がなくもないことは否定しないが、完全な解放はありえないし、するべきではない。

*1:長期的に見た最適な効率を追求をした結果という見方も出来る可能性があるが