新聞社は今後どうなるか?

http://d.hatena.ne.jp/tazan/20080727#1217152324で紹介されている
2008-07-27の記事において
id:Chikirinさんは新聞社の衰退を予測し、その理由を

  1. 市場の縮小
  2. マス広告価値の低下
  3. 販売システムの崩壊
  4. 編集特権の消滅
  5. 記者の能力の相対的かつ圧倒的な低下
  6. 「未来のなさ」に気がつかない「先見性のない学生」が未だに新聞社に入りたい入りたいと毎年押し寄せていること

の6点を挙げておられる。
1〜3までの点は例えば、それこそ元毎日新聞の中の人であった河内孝氏の『新聞社 破綻したビジネスモデル』(新潮社2007)でも指摘されていたことでありすでに周知の事実であるだろう。


新聞社の経済体力については
新聞ビジネス崩壊の「Xデー」:FACTA ONLINE
にもかなりシビアな予測が示されている。


だが日本の新聞の経済状況はすでに新聞事業によってのみ成立しているわけではないという点がしばしば忘れられがちである。


以下その観点から三点、新聞社存続の可能性を指摘する


 一つ目が多くの新聞社が持つ「不動産」を初めとした資産の問題である。
 報道各社の不動産事業――『新聞協会報』の記事: 伊藤高史のページでも紹介されているが、『新聞協会報』においてその点が特集された。これの面白い点は、新聞業界内部向けの『新聞協会報』においてとうとうこの問題が特集されたという点にあるのだが…。例えば主要紙でもっとも部数減少が激しく、経済的に苦しいと指摘される毎日新聞は東海地方にかなりの不動産を有しているといわれる。その他主要紙も、その本社ビルを見れば明らかなように、都内や各所に多くの地所を有している。地方紙ではこの点がピンキリということになるが、ブロック紙レベルであれば地方拠点都市中心部にかなりの地所を有していることが多い。この点は、新聞社の経営上の持続性を考える上では無視できない問題であろう。


 二つ目が、資本関係の問題である。最近の報道では、朝日新聞社において村山(美知子社主)家の保有していた株式の大部分をテレビ朝日に売却することが決定したということが報じられた。これはテレビ朝日朝日新聞の資本上で逆転が起こったという点を示すことも事実であるだろうが、それ以上にメディア業界が現在置かれた危機的状況の中、相互に資本関係を強め総合メディア企業体としての存続を模索しているという点が現れているだろう。テレビ朝日朝日新聞社以外の関係でも、日本テレビと読売新聞、フジテレビと産経新聞、TBSと毎日新聞などにも大なり小なりの資本関係や人材交流が見られる。また、新聞以上に危機的にあるとも言われているが*1、出版社とも資本関係がある場合が多い*2


 三つ目は、日本の新聞市場の特殊性である。世界的に見て発行部数1000万部などという新聞*3は日本にしか存在しない特殊なものである。そういう意味でいうならば、Chikirin氏の挙げられた1、2、3の問題点は順番が違っていて3(押し紙特殊な販売方法)、1(3の維持不可能性の露呈による特殊市場の縮小)、2(特殊市場下で維持されていた広告の価値低下)というのが市場と社の収益を考えると正しい順序なのではないかと思う。現在の会社体制のままの維持は到底不可能であろうが、世界レベルで新聞社が縮小の方向にあるとは言え、消滅しているわけではないため市場としての消滅はないものと思う。


 以上の点から、資本関係から見た場合には、現在の発行部数の維持は難しいと思われるが、それでも世界レベルでは相対的に大きな企業としての新聞社(総合メディア企業の新聞部門としてかもしれないが)は生存するのではないかと思われる*4


 次にChikirinさんの指摘する4、5、6の点に付いて簡単に反論を書く*5


 4、5にあがっている問題は、実は同一のことを指摘している。新聞がもし、社会における教導的役割を今でもに担っていると仮定するならば、それは新聞社が情報の独占的な連絡手段としての地位にあると思われていることに基づくからである。


 しかしこの問題はかなり根本的なところで否定される。それは日本の新聞が元来、それほど独自のオピニオンリーディング機能を果たしてこなかったからである。よくある、朝日新聞毎日新聞はサヨ、読売新聞はウヨというのは、大きな括りの上では意味を持つかもしれないが、世界レベルで紙上での主張と比較するとその差異は大きくない。*6そのもっとも大きな理由は、記事における主張をしない点にあるだろう。主要紙のオピニオンはそういう意味で「社説」と「コラム」に現れる程度である。
 この個別事象に対しての論説を避けるという姿勢は、記者クラブ制度による情報垂れ流しの片棒担ぎとあいまって、テレビの登場による新聞の位置低下以前に、新聞の社会教導的性質を剥奪した。


 また記者の性質変容に関しても、興味深い指摘があった*7。それは「新聞記者が、テレビの記者のように、情報元に対してレジュメを求めるようになった」というものである。つまり、情報の一次性を自らの報道に付加する取材という行動を放棄し、情報ソースにそれを求めるようになってしまったことがテレビ登場以降の新聞記者の特徴として述べられたのである。


 こうした中で、Chikirinさんが指摘するような4、5の点が登場するのは当然であるが。しかし、それが原因で新聞が衰退するのであればとっくの昔に衰退していなければならなかったことになる。そして、それが今まで衰退しなかったことと、これからもある程度の縮小はあれども衰退・消滅しないであろうという私の見込みには深い関係がある。


 それは結局のところ、オルタナティブなメディアが登場しないところに帰結する。id:tazanさんはネットジャーナリズムに非常に期待をかけているが、私は現状であればその未来は暗いと予想する。また、オルタナティブなメディアを希求する人が、ネットメディアのみに注視するのであれば、やはり相変わらずの既存メディアの情報独占(少なくとも流通上での)は維持されるであろう。


 その予測は、現在の日本のネット上の情報流通のお粗末さに由来する。一部の特徴的なblog(インサイダー情報を扱える地位にいる人の手になるブログなど)を除いて、ニュースサイトを初めとした情報を扱うインターネットサイト*8のほとんどの情報は、新聞やテレビ、あるいはそれらが運営するwebサイトからの転載情報に基づいている。事件当事者による、一時情報があがることもあるが、それを万能視する人間が、メディアリテラシー記者クラブ批判をするのはチャンチャラおかしい。つまり、質が落ちたりといえども、それを超える情報の処理(整理)能力を持った何者かが、オルタナティブな形で日本に成立していないのである。


 この点などの指摘は、はてなブックマーク - 新聞業界 崩壊の理由5つ、いや6つ - Chikirinの日記でも結構なされている。


 これではジャーナリズムに関わろうと思えば、既存の媒体に希望するしかない。フリージャーナリストの非常に大部分が、今は出ているとはいえ、例え一度なりとも新聞社や雑誌社などの既存ジャーナリズムの枠内*9を通過している現状そのものが、日本におけるジャーナリズムの貧困を現しているといっても過言ではない。当然、すべてがそうであるわけではなく、個人で頑張っている方もいるだろうが、その人々が経済的にどれだけ苦しい状況かは…。


 個人的には既存媒体からの既得権切り崩ししかないのではないかと思う。

  • 紙媒体への新規参入規制緩和(保護撤廃までは言わないが、是正は必要であろう)
  • テレビ・ラジオ放送枠の既存企業独占を禁止(電波権(使用料)などに関して財政状況に比例して価格決定など)
  • 放送機関などに対しての許認可行政の廃止あるいは大幅緩和
  • ネット上での政治的発言(公選法上の選挙活動も含む)の自由化
  • 記者クラブ制度の廃止

これら複合的な改革の上に
現在のメディアの抱える問題点を越える総合的メディアの成立を志すべきではと思う。
総合的メディアと何度も言うのは、規模と包括性は情報を扱うに当たって重要な点であるという、私の個人的信念からである。この点ゆえに、現在のオルタナティブメディアと自己定義するメディアは、既存メディアに勝てないのではないかという点も最後に付け加える。

*1:朝日新聞出版部刊行の『論座』の休刊など

*2:中央公論社を読売新聞が購入したことなども挙げられるだろう。

*3:さすがに1000万部超えを果たしたのは読売新聞だけであったと思うが。

*4:アメリカやルパート・マードック氏の総合メディア企業と比べると小さいかもしれないが

*5:反論といっても大枠では賛成であり、クリティカルなものにはならないが…

*6:産経の一部議論に対する記事や日経のあらゆる政治記事を株価変動の見込みに帰結させる文章は多少特徴的かなとは思うが。

*7:加藤秀俊氏によるジャーナリスト向けの講演会の一節であったかと思う。

*8:当然、当ブログも含めて

*9:しかも、その多くが非常に大きな企業