上記についての補足とブクマについての応答

上記記事を後から読み直してみて少し言葉足らずだなと思った部分があるので
まず補足

  • 行動様態として結果的にバックラッシュと同じものとなっているということは否定しません。オランダの事例はただ「従来のバックラッシュ」とは同一ではないというだけかもしれません。しかし、これを過去の移民排斥と同じように片付けてしまって満足しては行けないのではないかと言う思考が、頭の片隅にあります。東ドイツにおけるトルコ人排斥は概ねバックラッシュ的移民排斥運動であることなども下敷きにして。

(当然、オランダの例も、ドイツの例も全部が「そう」というだけではないのは前提です。フォルタイン党の支持者や共鳴者の中には「自分達の仕事奪う奴ら」という従来型の移民排斥論もあるでしょうし、ドイツの例で逆もまたしかり)

そのうえでブクマに応答

id:kadotanimitsuru 差別
フェミニズム自体が既に確立された考え方だからそこに準拠した「保守」「反動」も当然あるでしょうね。日本において「自由民主」が「保守」であるように。

こちらにはブクマ内でも応答していますが。
これはそうなのだろうとは思います。オランダの例で彼らが掲げていた(掲げている)のは「オランダの「寛容」」なのですから。ただ、フェミニズムに関して言えば、それがその地位にまで達したような世界的状況というのはいまいち想像できません。私の知識不足、想像力不足もあるでしょうが。
足立区での林道義氏によるフェミナチ批判という荒唐無稽なものを思い出しました
(古いか)

id:PledgeCrew 差別
特定のマイノリティとしての自己を主張することは、他の差別や差別一般に対して批判的であることを必ずしも意味しない。なぜならそれぞれに差別の「根拠」が違うから

これもまた、その通りなんですが、オランダの事例はそこを彼らは回避してきているんですよね。差別全般の側に自らを入れ「対イスラーム」という図式を作り上げるわけです。おかしいのだけれども、それだけだと論理破綻はない(あるいは少ない)訳で。

id:NaokiTakahashi
(保留)ヘイトスピーチ自体の規制はバックラッシュだと思う。コミュニタリアニズム共同体主義もそうだけど、マニフェスト≠公約みたいに、ただ呼び換えて再提示してるだけのような。悪く取れば概念操作的。

これは上記補足でも記したように前段には同意いたします。


中段の「コミュニタリアニズム共同体主義」「マニフェスト≠公約」はもしかしたら、私のほかの場所での(「コミュニタリアニズム共同体主義」は地下猫さんのところなので「他」とはいえないかもしれないですが)ブコメも込みでなのでしょうか。
ここは、自分が院時代に深く関わったところなので語りだしたらキリがないところなのですが…。


コミュニタリアニズム共同体主義」については、主に学問的見地から。
非常に簡単かつ強引に言うと

で結局感想を書いていない「リベラル・コミュニタリアン論争」などもあるように
コミュニタリアニズムの意義はロールズ的リベラルにブラッシュアップを求めるために、人間観などの観点で違う主張を出した点にあると思う。日本では共同体主義と「訳」されることで「共同体」のみに関心が集まってしまい、リベラル・コミュニタリアン論争の有意義な部分から注目がそれてしまったのではないかという点があるため。


マニフェスト≠公約」はまさに「概念操作」に対する批判です。マニフェストを、「数値目標付き政権公約」のことであるという人びとはそう概念操作することで得られるものがいろいろあるのでしょう。そう訳す人々は「海外では」という枕詞をつけるわけですが、ジェラルド・カーティス氏が昔指摘して私も好きな話ですが、世界でもっとも有名なマニフェストは“The Communist Manifesto”ですよと。


補足と上述したようなことを踏まえて
「悪く取れば概念操作的」ととられるような書き方をしてしまったことは深く反省しています。