理念・制度・グラデーション

自由主義と民主主義の緊張関係というものはある
民主主義的でない自由主義体制もあり
自由主義的でない民主主義体制も存在する


だが、今のところ双方にとって、そろぞれが持つ重要な「価値」が形骸化するのを防ぐという意味でも
自由主義と民主主義をバランスをとりつつ同時に選び取るということが
今のところ、民主主義者にとっても自由主義者にとってもベターな選択であるということに対してそれほど否定の言はでるまい


その範囲においてバランスをとる際にどちらに重きを置くかは、その国(あるいは社会)の文化・歴史によるところが大きい


そういう意味でid:y_arimさんの

「この世にはハンパな自由民主主義国家しか存在しない」という言い方はとらないのか。とらないのならその理由は何か。

という問題への答えは比較的容易にでる


「ハンパな自由民主主義」というとき、そこには当然に「完全(完璧)な自由民主主義」というものが裏返しに存在することが前提となる。しかしながら「自由民主主義」という言葉そのものが持つ不完全性が自明のものであれば、そこに「完全な」あるいは「ハンパな」という表現そのものが意味のないもの(あるいは少なくともあまり有意義でないもの)であることがわかる。


あとある人には悪いが、今の主流は多分「民主主義」に重きを置く議論であるように思う。様々な理由から、「民主主義」の価値・技術・哲学的な位置づけなおしが起こっているし…。経済問題などから越境する形で「自由」の価値そのものへの批判も出てきている状況もありますしね*1

*1:これは別に「自由」を否定するというわけではなく…。ただリバタリアニズムの隆盛が時間的に少し前のものになったというのは当然ある程度の影響があると思う