そういえばこの前…

禅宗に公共性があるかという話をヨーロッパ政治の先生と少し議論したのですが。
 私はあるのではないかと答えたのですが。
 その先生は、それこそ「無門関」などの禅宗の基本思想的なものからは「公共」という考え方は出てこないのではないか。というようなことを仰っていたのですが…。私としても、必ずしもそういった部分への回答ができないという状況でした。これらを解決する鍵となるのは、禅の小乗的要素と禅を含めた中国以降の仏教は大乗の文脈にあるという事実の関係性ということになると思うのですが、実際それを明らかにするのは非常に難しい気もします。
 日本の禅宗となると、道元禅師はもともと比叡山で天台の教義を学んでいるという観点から、大乗的要素の淵源をそこに見る事と、曹洞宗の中に大乗的要素を見出そうとする事は可能だと思うのですが。そうすると、必ずしも禅宗の本質的な部分からの公共性の見出しには成功していると言い難い所があります。
 宗教にあるいは仏教に公共性が必要かという問題はありますが…。それらの問題は置いたとしても宗教者には公共性は必要だとは思いますが。
ということで…現在、勉強中の仏教なんですが…もっと絞らないと、ちょっと問題的に大きくなりすぎた…。禅宗日蓮宗の両方に目配りをしていたら、収拾がつかない事に気付かされました。収拾を付けるためにもう少し絞って行きます。とりあえず、吉田久一氏の「現代仏教思想入門」についてのみだけでもまとめて、その後各宗の勉強に入ろうと思います。統合はその後か…